その122 図書館にて。
長崎県諫早市立図書館を訪ねると、奥には「郷土の作家」として野呂邦暢のコーナーがあった。僕が手に取った『愛についてのデッサン 佐古啓介の旅』(みすず書房)には佐藤正午の解説が収められていて、少し意外に感じた。佐藤さんは同じ長崎の佐世保出身だから距離は近いが、作品のジャンルや舞台がそれほど似ているとは思えない。僕はふたりとも好きだけど、佐藤さんが野呂さんに熱烈なファンレターを送り、「死をどう惜しんでも惜しみきれない」とまで言うのは不思議だったのだ。
だが、佐藤さんの解説を読んで納得した。野呂さんをこう評する。
万年筆のキャップをはずし、原稿用紙にたった一行でも文を書けばそれが詩になる。野呂邦暢はそういう魔法を身につけた作家だった。
また、野呂さんの文章を読むことで、
作家の繊細なまなざしをなぞることで読者にもたらされる、さっきまでとはちがう新たな自分が生きているという実感
を味わわせてくれるという。これは野呂文学の核心を突きながら、佐藤さんの小説観も明かしていると思う。だから僕はふたりの小説が好きなのだ。
席に着いた僕はエッセイ集『夕暮の緑の光』の目次に、「諫早市立図書館」という一文を見つけた。
- 作者: 野呂邦暢,岡崎武志
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2010/04/24
- メディア: 単行本
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ここから「私はなんとなくあの分厚い本のことを思いうかべる」という最後までの筆はこびは、何度読んでも見事である。辛かった時代を振りかえると人は甘いノスタルジーに浸るものだが、自意識の垂れ流しを許さず、一言一句を選びぬく徹底した態度に、僕はため息をついた。(藪)