その123 時には昔の話を。

 週の土曜日、上林暁の『故郷の本箱』という随筆集を鬼子母神下のガレージで買った。吉祥寺でひとり出版社をしている島田潤一郎さんが興した夏葉社という版元で通算6冊目にあたる新刊本だ。島田さんと、ジュンク堂書店仙台ロフト店に勤務する佐藤純子さんが対談を行うというので聞きにいって、その帰りみちに自分へのおみやげとして買ってきた。ガレージで買ったというのは、その日「みちくさ市」という古本のイベントが行われていて、夏葉社の出店がそこにあったのである。

 この随筆集に「律儀な井伏鱒二」という作品がある。そこに、こんな井伏氏のセリフが出てくる。「おい、みんな黙って、上林の話を聞いてやろうじゃないか。誰でも旅から帰って来た時は、話を聞いてもらいたいものなんだ」。酒場でめいめい勝手なお喋りをする一座を制して発した井伏氏の言葉に、後輩作家の上林氏は「井伏氏の細かな心の動きに、これほど感心したことはなかった」と書き記している。今の私の心境も、旅のみやげ話をもてあましていた上林氏の気持ちと似ているかもしれない。誰かに、土曜日に聞いたことを話したいのだ。

 かつて往復書簡を交わしていた島田さんと佐藤さんが、その続きを対談でおこなう、という主旨だったか、明白な目的はよくわからないのだが、そこに集まった人はみな、島田さんの話を、佐藤さんの話を聞きたくて集まっていた。そんなの当たり前じゃないか、と言われればそれまでだが、ふたりがどんな話をしようとも聞いてやろうと思っている点が特殊だ。みんながどうかは知らないが、少なくとも私はそんな気持だった。佐藤さんにはかつて東北に出張したときからお世話になっているし、島田さんは大好きな作家マラマッドの復刊本『レンブラントの帽子』を出版してくださったということで勝手に恩義を感じている。

 この随筆集に「小説を書きながらの感想」という作品がある。そこに、上林氏の息子が子どもの頃、おたまじゃくしに夢中になるあまり、海辺の風景にもおたまじゃくしを描いたという逸話が出てくる。

 五月頃この子は盛におたまじゃくしを獲って来て飼ったのであった。学校からかえると、おたまじゃくしを捕りにゆくんだと言って、飯もそこそこに出かけてゆく。捕ってきたおたまじゃくしは、いくつもの空缶や空瓶に飼い、殊に牛乳瓶には藻を入れ、おたまじゃくしが藻にとまったり、ヒラヒラ泳いだりするのを眺めていた。水が汚くなると、すべてのおたまじゃくしを洗面器に移し、瓶や缶の水を取り替えてやるのだった。おたまじゃくしのような芸のないものをと僕は思ったけれど、蟹や目高が捕れるわけではないので、そのまま、ほったらかしておいた。 
 それから二ヶ月近く経った。おたまじゃくしはいつの間にか一匹もいなくなった。ところが、おたまじゃくしが彼の絵の中に生きて来たのである。絵は勿論幼稚で、得態のわからぬものだったけれど、彼がおたまじゃくしに寄せた夢を、執拗に再現しようとしている意図だけは、判るのだった。彼はその夢を生かそうとして、倦むことを知らず、おたまじゃくしの絵を描いているのだった。
 僕にはこれが非常に面白かった。絵は下手だけれど、夢がある点に、心を惹かれた。僕たちが、花なら花、鳥なら鳥に無心に寄せた夢は、かならず僕たちの芸術に生きて返って来ることを、眼の前に見る思いがした。

 この小文は「芸術とは、生活上の夢の再現であると思うのである」という一文で締めくくられている。いま引用したくだりが、島田さんと佐藤さんの対談の雰囲気に近いと思ったので、説明の代わりに書いてみた。まるで主題なんてないように、時間のことなんて忘れているように、島田さんはほぼ90分間、断続的にみずからの失恋の話をしていた。そして、それを佐藤さんと私たちはずっと聞いていた。廃校になった高田小学校の職員室で、予定表の白いマス目が残った黒板を背にして、悩みを打ち明ける先生同士の話を、呼び出された生徒たちがそわそわしながら聞いている。でも、教室で行われる授業よりもずっと、生徒たちは真剣に聞いている。そんな感じの対談だった。
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 もう亡くなって20年以上も経つ作家の短編撰集を作った動機として島田さんは、古本屋の山本善行さんが薦めていたことと、上林氏の妹さんに会ったことについて語っていた。妹さんに「お兄さんの本ができました」といって手渡したいという心で、この本を作ったという話を聞いて私は感激した。どうしても読んでもらいたい誰かのために真剣に本を作る、という姿勢に打たれた。

 この本を紹介するには違うことを書き過ぎたかも知れない。ともあれ、本当にここだけは読むことができてよかったという箇所をもうひとつだけ、引用しておきたい。

 僕は時々、ひとから、よく頑張りますねと言われることがある。親しい友人でも、君はよく頑張るなア、と言うことがある。
 僕が貧乏や病気など構わず、文学に齧りついてやっているのを、ひとは頑張っているというふうに見るのかも知れない。頑張っているのには間違いはないだろうけれど、頑張っていると言われると、僕は一寸心外な気持がするのだ。
 なぜ心外な気持がするかと言えば、僕にあっては、文学をやるということは、頑張るとかなんとかいうよりも、もっと自然な状態だからである。僕は努力をよく口にするけれど、今となっては、努力ですらないかも知れない。文学をやるということは、生きることそのことなのだ。だから、文学をやめるとか、やめずに頑張るとかいうことは、僕においては意味をなさないことだと考えている。そこへ持って来て、よく頑張ると言われると、一方に文学をやめることが想定されているようで、心外な気持がするのだ。(「小説を書きながらの感想」)

 この上林氏の姿勢、そして島田氏の姿勢にはどこか通じるところがあるように思う。私はこれからこの本を読み返すたびに、失恋した島田さんの顔を思い浮かべるに違いない。本も大事だが、本の周りのことを知って本を読むと、特別な本ができる。そういう主旨の話を、このブログでいつも書きたいと思っている。(波)
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<追記>
書店員・佐藤純子さんのたのしい日常と妄想をつづった漫画『月刊 佐藤純子』が本になりました。というわけでちょこっと宣伝。このブログの筆者もどこかに登場します。

http://md-sendai.com/sendaibunko/