その121 脳内脂肪をスパークさせる本。

 の心の中には演劇部員がひとり住んでいる。日々を粛々と生きていると、ときどき私の両肩をつかんで揺さぶり「きみも演劇部に入らないか?」と勧誘してくるありがたくも厄介な相手だ。何がいいたいのかと言うと、ときどき猛烈な表現欲求がわきあがってきて悩ましいということである。このブログもある意味で、そんな欲求を昇華させようと格闘してきた燃え殻のようなものだ。

 みんなはどうしているのだろうと思って、大学時代の友人Fちゃんに、心の中に演劇部員はいるか、勧誘されたらどうしているのか、と訊いてみたことがある。「いる。そんなときはブックオフに行き、自己啓発書を立ち読みしまくる」というのが彼の答えだった。読みまくっているうちに、昂っていた心がさらに滾り、やがて鎮まってくるのだという。このやり方を真似したことはないのだが、私はなるほどと思った。

 こんなことを思い出したのも、書店のビジネス書コーナーで大きく展開されていた話題の自己啓発書『媚びない人生』を読んで、Fちゃんの発言の意味をほんとうに理解したような気がしたからだ。

媚びない人生

媚びない人生

 誤解を恐れずに書くと、この本に情報はない。私たちの精神を世間の雨風から守ってくれる帽子や衣服のような知識はここにはない。その代わりに、私たちの精神的脂肪をエネルギーに変えて燃やしてくれるような熱い言葉に溢れている。「ヘルシアウォーター」の広告ポスターで歩いている塚本高史のお腹は光りながら燃えているが、あのような図を想像されたい。読み終えたとき、今自分が生きている時間がちょっと違って見えてくる。
 私がこの本に感銘を受けたところを抜粋してみる。

 必要なことは、何より自身の成長を意識することだ。未熟から成長に向かうプロセスこそ、生きる意味だと気づくことである。これを懸命に続けられた人生こそ、素晴らしい人生だと私は思っている。本当の幸せは、この過程にこそ潜んでいる。
 薄っぺらな物欲の満足や、基準が社会にある自己顕示欲の充足、さらには実は本来の自分が願ってもいなかった自己実現に、幸せが潜んでいるわけではないのだ。

 私自身は、自分の人生の中で考えたときに、何が本当に正しい選択なのか、20代後半にはっきりと気づくことができた。それはその選択が生み出す結果に対して責任を負う決意に基づくのであれば、その選択はその時点で常に正しい、ということである。

 無理に目標を具体化することはない。××社に入る、△△職に就くなど、むしろ会社名や職業名などの固有名詞は人生の可能性を小さくしてしまう。それよりも私は、目標の抽象性を高めることを勧める。もっと集中力を高める、内面の思考力を高める、知性を高める、言葉や行動、感情を強くする……。
 実はこうした抽象的な力こそ、人生を生き抜いていくベースになるからだ。そして抽象的な力を身につけておけば、どんな職業にも生きてくる。

 ここに引用した言葉を読んで、なんだ新しいこと、特別なことは何もいってないじゃないか、という風に感じた方もいるかも知れない。けれどもそういう疑問はこれから不要なのではないか。私はこの本がいま支持されていることに、価値観の移り変わりを見る。誰も手に入れていない情報、いまだ誰も知ったことがない知識ではなく、もうすでに知っていること、もうすでに手に入れてしまったもののなかで、何を大事にするべきかという問いにフォーカスすること。私はこの本の著者が自分の時間を見つめる目に、とても刺激を受けた。

 いちおう必殺技を目の当たりにした敵役の解説めいたことを書いておくと、この本は慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所で教鞭をとる著者が、卒業するゼミ生たちに向けて、みずからの「内面からの革命」について語った最終講義「贈る言葉」を書籍化したものです。心の中で暴れ狂う演劇部員を鎮めようと自分の思考回路に鎮静剤を打ちすぎて何も手につかなくなったような人に、特におすすめしたい本です。(波)