その120 移動することなく国外逃亡するという体験。
営業先の書店で、面白い本をみつけた。坂口恭平という人が書いた『独立国家のつくりかた』という新書だ。どことなく不穏なタイトルなのに、帯に大きく入っている写真は日本家屋の隣にあるツリーハウス。その窓際で青年がひとり、外を見ている。直感的に、この本には生の情報があるぞ、と思った。
- 作者: 坂口恭平
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2012/05/18
- メディア: 新書
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「あなたは僕が何者だと思いますか。それが僕の職業です」と言うことにしています。でも、やっている仕事自体ははっきりしている。
この文を読んで、あっと思った。それはリチャード・ブローティガンの小説『西瓜糖の日々』の冒頭に少し似ているからだ。好きな一節なので、ちょっと引用してみる。
わたしが誰か、あなたは知りたいと思っていることだろう。わたしはきまった名前を持たない人間のひとりだ。あなたがわたしの名前をきめる。あなたの心に浮かぶこと、それがわたしの名前なのだ。
たとえば、ずっと昔に起こったことについて考えていたりする。——誰かがあなたに質問をしたのだけれど、あなたはなんと答えてよいかわからなかった。
それがわたしの名前だ。
- 作者: リチャードブローティガン,Richard Brautigan,藤本和子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2003/07/01
- メディア: 文庫
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坂口恭平が抱える、子どもの時からの質問——
1 なぜ人間だけがお金がないと生きのびることができないのか。そして、それは本当なのか。
2 毎月家賃を払っているが、なぜ大地にではなく、大家さんに払うのか。
3 車のバッテリーでほとんどの電化製品が動くのに、なぜ原発をつくるまで大量な電気が必要なのか。
4 土地基本法には投機目的で土地を取引するなと書いてあるのに、なぜ不動産屋は摘発されないのか。
5 僕たちがお金と呼んでいるものは日本銀行が発行している債券なのに、なぜ人間は日本銀行券をもらうと涙を流してまで喜んでしまうのか。
6 庭にビワやミカンの木があるのに、なぜ人間はお金がないと死ぬと勝手に思いこんでいるのか。
7 日本国が生存権を守っているとしたら路上生活者がゼロのはずだが、なぜこんなにも野宿者が多く、さらには小さな小屋を建てる権利さえ剥奪されているのか。
8 二〇〇八年時点で日本の空き家率は13.1%、野村総合研究所の予測では二〇四〇年にはそれが43%に達するというのに、なぜ今も家が次々と建てられているのか。
長々と引用したのには理由がある。つまり、この疑問こそが著者の個性であり、仕事の原動力だから。この世のどこにおかしいと思うか、そしてそのために何をするか。坂口氏はそれを大事に生きている。
著者はこれだけの疑問を胸に、路上生活者のレポートをつくってそれを写真集にして発行し、リヤカーのような車輪がついた可動式の家を建て、誰も所有していない日本の土地を探して公有化し、熊本県に放射能から逃れてきた人たちのための0円避難所をつくった。
建築家になると決め、大学で学んでいた時、僕は先生たちに職人さんたちに質問した。
「なんでこんなつまらないものを建てつづけるんですか?」
そうしたら、誰もが仕方ないと言う。それで僕は、「あー、この人たちじゃ何もできないんだから、自分がいつか口に出して言って変えないと」と思った。
僕はそれだけだ。好きでやっているとか、そんな動機じゃない。もっと切実な動機でやっている。こんな大人たちに任せてしまっては大変なことになると思った。使命と言っては大げさかもしれないけれど、これは自分がやらなければならないと心に決めたのだ。
この本には、ラディカルに生きるということはどういうことか、についてのお手本がある。それは真似できない。けれども読んだ人に、自分が生きている社会についての自覚を促す本だと思う。
私がこの本を読んで自覚したこと。それは、お金はさまざまな価値のものさしとなる媒質ではなく、さまざまな媒質のひとつだということ。著者がケニアのナイロビで学んだという「お金農家」という言葉がとても心に残った。
僕はそんなトミーを見ながら「お金農家」という言葉を思いついた。蜜柑農家は蜜柑だけをつくる。米農家は米だけをつくる。作家は原稿を書き、画家は絵を描く。
しかし、なぜだかそれぞれの農家や作家や画家は、それらのものを貨幣に交換するのだ。すべてのものが貨幣に換算されてしまう。それは当たり前のことでもあるが、何か違和感を覚えるものでもあった。
しかし、トミーやその友人たちを見ていると、あらゆるものと交換することができる貨幣というよりも、それは歌やダンスと同じような一つの要素に見えたのである。まるでトミーは蜜柑農家ならぬ、お金農家のようにお金をどこかから採集してこようとしている。そして、それをみんなに分配していたのである。
このお金の「見え方」はかなり重要だと思う。それは私たちを「食えるか、食えないか」という感覚から少し自由にしてくれると思うから。(波)