その111 金で買って何が悪い……のか?

 ぜ金で票を買ってはいけないのだろうか。
 もちろん中学の教科書に載っているような反論は簡単にできるだろう。民主主義は市民一人ひとりの良心的な判断によって成り立っている。選挙における買収行為はその判断を歪めてしまう——でも、ちかごろ話題になった選挙で、投票の結果にしても、その後の政治の行方にしても、市民の理知的な判断が中長期的に実を結んだ、という例を聞いたことがないのはなぜだろう。
 そうじゃないんだ、という声が聞こえる。たしかに民主主義は最高の指導者を選ぶ仕組みではないかもしれない。でも、多くの人にとって歓迎できない、つまり最悪の指導者を選ばずにすむ仕組みなのだ。
 ただ、最低の選択肢を避け続けたからといって、状況が好転するわけではない。
 もし、このままではどうしようもない、変えるのは自分しかいない、と信じる候補者がいて、そのために自腹を切ってまで票を買おうとする人間が現れたとき、民主主義の原理はどこまで立ち向かえるのだろうか。

トラオ―徳田虎雄 不随の病院王

トラオ―徳田虎雄 不随の病院王

 日本という国の構造を考えたとき、沖縄は今も昔も弱者だと思うが、その沖縄にすら差別を受けたのが奄美大島である。産業がなく、資源もない。結果、教育や医療も遅れに遅れた、最底辺に位置するエリアである。
 そんな奄美に生まれた徳田虎雄は、普通なら何でもないような病で弟を喪い、誰もが適切な医療を受けられる環境を作りたいと願う。ここまではよくある話だ。
 しかし、徳田には金がなかった。頭もあまり切れないらしい。だからなにふり構わない。「大都会の秀才」たちに勝つため、若き日の徳田が実行したのは「早飯、早ぐそ、貧乏ゆすり」だという。とにかく猪突猛進、周りのことなんていっさい考えずに突き進む。
 自分の目指す医療のあり方を、既得権を振りかざす日本医師会が邪魔するならとことん闘う。そのために政治の力が必要なら、金で票を買収する。結果として徳田の率いる徳州会は全国一の病院グループとなった。それの何が悪い……といえるだろうか?
 そんな徳田が、皮肉にも原因不明の難病に冒された。全身の筋肉が死に、呼吸も機械任せ、もはや自由になるのは眼だけだ。その両眼をギョロギョロさせながら、徳田は自分の理想を目指す。そんな彼の前に、新聞やテレビの振り回す良識など、価値を見いだせるだろうか。
 著者はそんな徳田を、功罪ともに冷静に見つめる。何が正しく、何が誤りなのか。よその国のお坊ちゃま大学の机上空論になど頼らずとも、考えるための素材は身近にあるじゃないですか。(藪)