その110 復活の呪文を唱える。

 親から、神様はいると思うかと聞かれたことがある。中学生のころだったか。今にして思えば、そんなこと聞くなんて何か悩んでるんじゃないの? といいたいところだが、その時は何かいま自分はとても大事な問題を出されているんじゃないかという気がして、真顔で、いると思うことは事実だと答えた。前後のやりとりは覚えていないけれど、答えきれなかった、という思いが強かった。

 それから10年ほどして突然、父親が神様を見たいいだした。私は「怖!」と思ったが、そのとき父は運転席に座って高速道路を運転中であったため、否定すると対向車線に突っ込まれるんじゃないかと思って適当に相槌を打った。案の定、それから父の精神的病状は悪化し、しばらく療養所に入院することと相成った。

 この経験からして、神様というのは忘れられない存在である一方、見たり会ったりしてしまうとまずいものなのだと思う。そんなものはいない、もう死んだ。などという主張を耳にすることもあるけれど、何かものすごく淋しい考え方のような気がするのがいつも不思議だ。そして、その存在をどこかで感じながら生きている人のほうに魅力を感じる。

 ポイントは「どこかで感じる」ことだと思う。望遠鏡で太陽を見てはいけないように、神様と直接会ってしまうのは危険すぎる。自分なりに象徴化して、強力すぎない程度にやさしくしたものを、日常生活に携えていたい。

 そんなことを考えつつ、先日、宮崎駿監督がおすすめしていたのでサン・テグジュペリの『人間の土地』という本を読んでいたら印象的な一節を見つけた。

 年老いた農婦は、一つの画像、一つのメダル、ひとかけのロザリオを通してこそ、はじめて自分の神に到達することができるのだ。これと同じく、ぼくらに自分を理解させるためには、人は単純な言葉でぼくらにものを言わなければいけない。

人間の土地 (新潮文庫)

人間の土地 (新潮文庫)

 ここを読んで私は、ああ、これだと思った。一つの画像、一つのメダル、ひとかけのロザリオ。私にとってのこれらの聖なるイコンって何だろうと考えてみる。たとえばそれは、冷蔵庫に貼ってあるお気に入りのマグネット。美術館で買った絵はがき。手帳に挟んだアイドルのシール。

 サン・テグジュペリが「単純な言葉」と書いているところが面白い。私たちは神様の危険性を逃れるために、神様について語るとき、つい難しい言葉を使ってしまう。でも生活の労働に疲れた人に難しい言葉は効かない。小さくて、シンプルで、少しチープなもの。

『人間の土地』は、物質的利益や、政治的妄動や、既得権にのみ汲々たる現代から、とかく忘れられがちな、地上における人間の威厳に対する再認識の書だ。(訳者あとがきより)

 雑貨屋にあるよくわからない置物を、作ったり買ったりする人の気持が、この頃とてもよくわかる。(波)
 
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<おまけ&告知>(波)

 自分もここに書いたような「イコン」を作ってみたいと思いながら、大学時代の友人であるchimakiさんと一緒に一冊のジンを作りました。『Chimera BOOK』という28ページカラーの冊子です。
1号目はK-POPをテーマに、エッセイ、詩、コラージュなどを編みました。ジン、リトルプレスに興味のあるかたは是非、お手にとってみてください。(詳細はこちらで)現在、吉祥寺「百年」/中野「タコシェ」/オンラインショップ「Lilmag」で、お取り扱いいただいています。