その96 有名人の死。 

 名人の死というものを、どう扱っていいのかわからない。
 家族や親友のように身近な人のことなら、その死で自分の負った痛みを綴ればいい。ちょっとでも面識があるなら、その出会いを担保に何かを語ることができるだろう。
 だが、テレビ新聞を通して、せいぜい遠いところにいる姿を見た程度の人が亡くなったことに、あれこれ言うのは抵抗がある。しょせん自分の持っているイメージなど幻のものではないのか? その人の生き方になんのかかわりもなかった自分が、死について書く言葉はあまりに軽くて無責任ではないのか?
 ただ、僕の故郷・千葉にやってきたものの相変わらず万年Bクラスの烙印を押されていたロッテという球団にいながら、文字通りの剛速球で強い印象を残した伊良部秀輝について書きたい。自殺の原因なんて本人以外わからないし、彼が人生や野球についてどういう考え方をしていたのか知らないが、とても印象的な一篇のノンフィクションを紹介しよう。

 この本では、審判やブルペンコーチ、スコアラーなど野球選手をとり囲むさまざまな職人を紹介しているが、その一つがトレーナーだ。肉体を限界まで酷使するスポーツ選手の体作り、あるいはメンテナンスを行うプロフェッショナルである。

「選手ってのは、鏡のような存在としてトレーナーにいて欲しいものなんだ。自分の筋肉、コンディションが今、どうなのか、意外に本人にもわからないことだったりする。そんなとき、まるでもう一人の自分のように過不足なくしてきしてくれる存在がいてくれたら、どれだけ救われるか」

 ロッテのトレーナーを務めていた吉田一郎は、野球人として大リーグへの憧れ、球団への不満(ここのフロントは常に小さくない問題を抱えている)、そして伊良部という類まれな才能を持った投手への期待から、彼がニューヨーク・ヤンキースに移籍する際、ともに球団を辞め、家族を残して、伊良部の専属トレーナーとしてアメリカに渡った。
 移籍をめぐって騒動に巻き込まれた伊良部は、マスコミに対する不信感を隠そうとせず、日常的にトラブルを起こしていた。さらに、アメリカ文化を象徴するヤンキースという球団でプレーすることは、想像をはるかに超える重圧を伊良部にかけた。
 調整のため下位リーグで登板した伊良部は、すばらしい投球を見せた。しかし、彼の体を心配した吉田はマッサージを試みた。

 筋肉は正直だった。見た目には文句のつけようがない投球だったが、マウンドの硬さと傾斜の違いが、日本時代とは異なる筋肉の張りに、わずかだが現れていた。腰の後ろ側、踏み出す頭左膝頭、そして付け根。どこも日本時代に触れてきた伊良部のものとは、微妙に異なっている。

「メジャートップクラスのピッチング」と謳われ、最初こそ華々しい活躍を見せた伊良部だったが、調整の遅れ、細かな野球習慣の違い、そしてマスコミとのトラブルで、結果を出せない。吉田にできるのはマッサージだけだった。「言葉を介さずとも身体を筋肉を診てやることで、相手の心をほぐすことが出来る」という。
 しかし伊良部は心を閉ざし、マッサージすら拒むようになった。吉田は不安に襲われる。就労ビザが切れてしまう、伊良部のために出来ることがない、そしてトレーナーとして生命線である指先の感覚が鈍ってしまう――つまり「指が腐る」。彼は決断を下す。

 文庫本でわずか50ページほどの作品ながら、主人公である吉田のみならず、テレビや新聞ではまず報じられない伊良部の心の揺れが描かれている。そしてラストシーンで吉田が見た青々としたグラウンドは、野球のすばらしさを伝えるがゆえに、野球から離れられない、野球にしか生きられない、伊良部秀輝という投手を象徴するかのようだ。
 ありがとう。さようなら、クラゲ。(藪)