その90 あの日のこと。

覚まし時計の音で目が覚める。時間をかけ、念入りにお化粧をして、お気に入りの服を着て、高いヒールを履く。会社に行きたくない憂鬱な朝の儀式。「誰かに見てもらわなくちゃ勿体ない、だから出勤しよう」と思うことで無理矢理出社する。3月中旬からの3ヵ月、ほぼ毎日きちんとスーツを着て、髪を巻いて、念入りにお化粧して出社した。この3ヵ月は、ほんとうにつらかったから。

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3月11日、金曜。地震が起きたとき、わたしはビルの22Fにいた。揺れがひどくてまともに歩けない。床を這うようにして机の下に潜った。本棚から本がこぼれてくる。エレベーターが止まり、22階から地上まで歩いてくだった。自分の出している足が右足なのか左足なのかがよくわからなくなり、足がもつれて転げ落ちそうになるたび手すりにしがみつく。その手すりすら余震できしきしと嫌な音を鳴らしていた。


それから2.5日間にしたことといえば災害情報を摂取する、それだけ。つけっぱなしのテレビから津波や火災や啜り泣く人の映像があふれて窒息しそうだった。テレビを見ながらTwitterやネットで1日に何度か、思い出したようにニュースをチェックする。その合間に余震がやってくる。寝ることも食べることも忘れて、悲しさだけを吸収した週末。


翌週の月曜日、会社へ行くのが嫌で嫌で仕方なかった。怖かったのである。絶え間ない余震、十分な情報が出てこない原発事故。怖かったのである。節電を謳う薄暗い街のなかで「なにかをしなければならない」気がするのに「なにをしてばいいのかわからない」でもがくことが。怖かったのである、「こわい」と言えば「煽るな」と怒られ「日本人はこんなに素晴らしい」という文句ばかりがコピー&ペーストされ取り上げられる空気が。

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この3ヵ月間、新しく何かを読むということはせず、2冊の本だけを繰り返し読んでいた。
まず

群像 2011年 05月号 [雑誌]

群像 2011年 05月号 [雑誌]

このなかの「日本文学盛衰史 戦後文学編(17) 高橋源一郎
震災後、いくつもの雑誌が刊行された。震災を特集したものもいくつかあったけれど、他のどの文章よりも胸を打ったのが群像5月号に掲載されたこの作品だった。明治学院大学で教鞭をとるタカハシさんが本来行われるはずが自粛となってしまった卒業式の場で教え子へ向け語った言葉。ちょっと長いけれど、一部抜粋したいと思う。

 あなたたちの顔を見る最後の機会に、一つだけお話をさせてください。それは『正しさ』についてです。あなたたちは、途方もなく大きな災害に遭遇しました。確かに、あなたたちは、直接、津波に巻き込まれたわけでもなく、原子力発電所が発する炎や煙から逃げてきたわけでもありません、けれど、ほんとうのところ、あなたたちは、もうすっかり巻き込まれています。

 なぜ、あなたたちは『卒業式』ができないのでしょう。それは、『卒業式』をしないことが『正しい』ことだといわれているからです、でも、あなたたちは、納得していませんね。どうして、あなたたちは、今日、卒業式もないのに、いささか着飾って、学校に集まったのでしょう。あなたたちの中には、疑問が渦巻いています。その疑問に答えることが、あなたたちの教師として、わたしに果たせる最後の役割です。
 
 いま『正しさ』への同調圧力が、かつてないほど大きくなっています。凄惨な悲劇を目の前にして、多くの人々は、連帯や希望を熱く語ります。それは、確かに『正しい』のです。しかし、この社会の全員が同じ感情を共有しているわけではありません。ある人にとっては、どんな事件も心にさざ波を起こすだけであり、ある人にとっては、そんなものは、見たくない現実であるかもしれません。しかし、その人たちは、いま、それをうまく発言することができません。なぜなら、彼らには、『正しさ』がないからです。

 幾人かの教え子は、わたしに『なにかをしなければならないのだけれど、なにをしていいかわからない』と訴えました。だから、わたしは『慌てないで。心の底からやりたいと思えることだけをやりなさい』といいました。彼らは、『正しさ』への同調圧力に押しつぶされそうになっていたのです。

言葉は、文章は、人を救う。小説は、ときに宗教になる。祈りにも似た気持ちで、救いを求めて、何度も何度も繰り返し読んだ箇所。続きも素晴らしいのだけれど、ここからの言葉の並び、文章の流れは抜粋ではなく通しで読んでこそ! ゆえ、ここまで。

そしてもう1冊がこちら。

ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008

ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008

「ぼくは散歩と雑学が好きだった。小西康陽のコラム」。
今回の震災以降、同じ業界で働く友人知人で転職活動を始めた人が少なくない。彼らが口を揃えて言うのは「無力感を感じた」ということ。聞けば震災後、必要になる衣食住のいずれにも本は入っておらず、自分が普段従事しているものの儚さを痛感したとのこと。それを聞くたび、この本を読んでほしいと薦め、自分も原点に戻るために毎晩開いた、このページを。

ぼく自身、小さい頃からいちばん好きな遊び場所は本屋さんでした。それはいまでもまったく変わっていません。中学生の頃からは、本屋さんよりももっと好きな場所がレコード屋さんに移りましたが、世界中どこへ行ってもレコード屋さんと本屋さん、夜には美味しい食事とお酒があるレストランがあれば、そこはぼくの好きな街、ということになります。そう、ぼくは人間が人間としての生きるよろこびを享受することができるところこそが都市だと考えているのです。
(中略)
ぼくが大人になって選んだ仕事は音楽で、他人に楽しみや喜びを与える仕事だと信じているのですが、戦争などが起きるとまずいちばんに切り落とされてしまう職業であることも覚悟しているつもりです。

“戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである”これは吉田健一氏の言葉です。ルネッサンスという思想をこれほどわかりやすく言葉にしたものが他にあるでしょうか。


わたしが大人になって選んだ仕事は出版で、他人に楽しみや喜びを与える仕事だと信じているんだけど、災害などが起きるとまずいちばんに切り落とさざるをえない分野であることも覚悟しているつもりです。それでも本が出来ること—たとえば活字の世界や情報が人を救うとか—はあると信じているし、“災害に打ち克つ手段のひとつは、各自の生活が美しくなるようなものを自分が摂取、または誰かに差し伸べてもらうことなのでは”と思ったのだ、この本を読んで。


もうひとつ、偶然目にしてこころが震えた言葉を。これは友達が呟いたもの。
「企業が一番電気喰ってんだよ休みにしろとか、社食やれ給食出せとか、非常時にあいつの態度が気に喰わんとか言い出したらキリないけど、この非常時自分でもまともな判断できてるか正解わかんないのに文句言ってどうすんのよ。あたしは黙って超働く!稼ぐ!んで寄付する!献血もする!役立てO型の血!」


この数カ月、ひどくつらかったのは、悲しいニュースばかり観ていたのは、被災した人たちがいるのに自分だけが楽しい思いをしていいのか? という考えに縛られ身動き出来なくなっていたからだと気づかされる。と同時にその「?」に対するしごく明快で真っ当な答えを教えてもらった言葉。そうだ、そうすればいいんだ。超働く、稼ぐ、んで寄付して、献血もしよう。
そのためにはパワーを蓄えねば、というわけでおやすみなさい。明日は薄化粧で出社できますように。(歩)