その89 探偵の仕事。

 事は人を悩ませるものだ。
 職業は人生に意味を与える。だから手がけた仕事が順調なら、天下取ったように思い込むし、うまくいかないと、存在まで否定されたような気がする。
 うまくいかなくて落ち込むのは、うまくいった状態を理想としているからだ。だが成功というのは、そう訪れるものではない。プロ野球でいえば、3割打者といえども、10打席のうち7打席は失敗している。3本のヒットやホームランを打つためには、7回の三振やフライやゲッツーが必要なのだ。
 舞台がどれほど賑やかでも、基本的に仕事は華々しいものでない。地道なことの繰り返しだし、成功であれ失敗であれ積み重ねをしないと、物事は解決しない。そのことを静かに教えてくれたのが、ロサンゼルスの私立探偵、リュウ・アーチャーである。

 大富豪に依頼されて、失踪した娘の行方を捜すことになったアーチャーは、条件をつけようとする依頼人に対して宣言する。

依頼人の方にあれこれ言われて、満足な調査もできないような事件は、お引き受けしないことにしてるんです。自由な立場から事実を追って、自然に結論に導かれるというのが、わたしの原則ですから」

 名探偵というとずば抜けた頭脳で奇跡的な推理を組み立てるイメージがあるけど、アーチャーの捜査はきわめてオーソドックスである。足を運び、話を聞く。その繰り返しだ。

 青年は拳を固めた。(…)殴られるかな、とわたしは思い、いっそ殴られればいいとも思った。こんな問答を続けていても、埒があかない。喧嘩になれば、真相をひきずり出すチャンスも早まろうというものだ。

 時には空港の待合室で、対象が動き出すのをひたすら待つ。

 女とわたしはもう一時間余も待合室に座っていた。わたしは新聞を隅から隅まで、求人広告にいたるまで読んだ。グラント街に住む匿名子が、たった一枚しかないイエス・キリストの本物の写真を売ります。貸し出しにも応ずという広告があった。わたしは退屈のあまり、その男に連絡してみようかと思ったりした。

 事件に巻き込まれて、警察に捕まっても、余計なことは言わない。

「なぜ初めからそう言わなかったんだ」
「拷問てのは、あまりいい気分のもんじゃないね」

 探偵の仕事は派手なものではない。キーパーソンに接触を試みたところで殴られて意識を失ったり、最後に推理をひっくり返すようなことが起きたりする。それでも事実を一つひとつ積み上げて、真相に近づくだけだ。彼の仕事にぶれがない。
 この作品が発表されたのは半世紀も前のことで、テーマになっているアメリカ家庭の崩壊、心の闇は古びて、当たり前のものになってしまったかもしれない。だが、アーチャーの探偵稼業に対する生真面目さ、清潔さは、つい仕事に過剰なドラマを求めてしまう僕に、適切な冷や水を浴びせてくれる。
 結局、探偵は人間を観察する仕事なのだ。どれだけ冷静に、正確に、相手を把握できたかが、結果につながる。そんな仕事を続けてきたアーチャーの、人間に対する諦めは、ごく自然なものなのだろう。(藪)

「この女のひと、いくつ?」
「三十九か、四十です」
「命取りになった病気は……?」
「人生です」と、わたしは言った。