その91 テキストブック。

 の中で何度も再生する風景、というのが誰にでもあるんじゃないかと思う。私の場合、中学3年生のとき、教室の一番後ろの窓際の席に座って、顔を左に向けて、昼休みの終わりに見ていた中庭の風景というのがそのひとつに当たる。空が曇っていて、視線を落とすと砂利があって、特に印象的なものは何も映っていなかったのに何度も繰り返し頭に浮かぶのは、その時将来のことを考えていたからだ。
 当時、なぜだかとても洋服のことが気になって、たいした知識もないのに漠然と洋服をデザインしたいなと思っていた。一方で、自分の頭のなかにある知識のほとんどは高校受験に役立つ代物であると知ってもいた。ここでゼロから始めるか、あまり意味があるとは思えないけれどもやると誉められることを続けるかで迷った。今にして思えばあの瞬間が私が私を発見したときだった気がする。内側からあがってくる声より、外にいる人の声に耳を傾けたいと思った。
 命令されているわけではないのに「こうしたほうがいいんじゃないか」という声が外から聞こえたらそれに従ってしまう。この習性に慣れた今では、何かを拒否したり、何かができなかったりすることはひとつの才能だと思う。そういう能力に長けた人の本を読むと、その人に強いあこがれを感じるが、自分がいるせいで誰かが嫌な顔をすることがいつも私は厭なのだと思う。それは避けられないことだとわかってもいるのに、意図的にそうする勇気が全然ない。衝突が恐い。誰かと言い合いをしたくない。最終的に自分が納得しないと相手に迷惑をかけることがわかっていても、それを貫く勇気がない。
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 昨日まで、mina perhonenの設立者である皆川明さんの本を読み直していた。最近BNN新社からミナについての新刊がでたので、ほしいなと思いつつ、まずは持っている本を読み返してみようと思って。で、読んでいると上に書いた風景のことをまた思い出した。

ミナを着て旅に出よう (仕事と生活ライブラリー)

ミナを着て旅に出よう (仕事と生活ライブラリー)

 この本はいま『暮しの手帖』の編集長をつとめている松浦弥太郎氏が聞き役になって、皆川さんの半生が語りおろされたもの。学生時代は陸上の長距離選手をめざしていたもののケガで挫折した皆川氏は、夜学で服づくりを学び、卒業後は魚河岸で働きながらオリジナルの服づくりをし、独立して、いまや国際的にも認められるデザイナーとなった。
 読んでいてすごいと思ったことは2つあって、ひとつは文化服装学院時代、課題の服をほとんど作らなかったのに、ファッションショーに出す服のデザインは誰よりも多くやっていたという話。もうひとつは、朝4時から昼まで市場で働きつつ、夕方から自分のブランドの服をつくっていたという話。自分にとって必要がないことをやらないということと、やりたいと思うことに向かう体力に驚いた。

 皆川さんのデザインする織や、刺繍にもそのシンプルさと力強さは現れていると思う。私がいちばんはじめに買った皆川さんの作品は、有名な「タンバリン」柄のポーチ。たった2色で、丸が並んでいるだけなのに一度みたら忘れられない。皆川さんの織みたいな文章があったらどんなに素敵だろうと思う。(波)

ファブリックのデザインは、実際にあるものをそのままモチーフにすることはほぼありませんね。もしかしたら、自分が幼い頃に見ていたものが、今になって記憶の引き出しから出てきているものはあるかもしれません。例えば、電柱が並んでいるデザインのファブリックを作ったことがあるんですが、それがまさにそうですね。僕は小さい頃、上を向いていることがすごく好きだったんです。ブランコも上を向いたまま乗って、見上げていると空が動くのがすごく面白かった。それと同じ感覚で、電車に乗っているときに、窓から空を見上げて電線を見るもの大好きだった。電線って、止まっているときに見るとまっすぐな線として見えるんだけど、走っている電車から見ると、電線が波打っているように見えるんです。それにすごく興味を引かれて、電車に乗ると上ばかり見ていました。その幼いときの記憶はずーっと頭のどこかにしまわれていたのようなのですが、あるときふっと頭に浮かんで、ファブリックになったんです。

ミナ ペルホネン?[通常版]

ミナ ペルホネン?[通常版]