その88 ヒップホップは好きですか。

 事でつきあいのある皆さんが薦めていたので遅ればせながら『切りとれ、あの祈る手を』を読んだ。前から関心はあったのだが、思想関係の本は読解に時間がかかるうえ、読みたい死人の名著だけでもちゃんと数えればたぶん10生分くらい残っているので脳に慢性的な飽満感があり、まだ時と言葉の試練をくぐっていない日本の現代ものにまで手を伸ばすのは正直つらかった。
 でも頑張って読んでみて良かった。買って1ページを読むまでが大変だったが、読むこと自体に頑張りは一切無用で一気に読みきれた。

 「これは読むヒップホップだ」というのが、一読しての感想である。といっても納得してもらえないと思うので補足すると、文と文の間にある意味の距離をすっとばすときの勢いが高速ラップみたいだし、自分の敵をディスることが一種の芸になっているところも似ている。帯にライムスターの宇多丸氏が「背筋が伸び元気が出る圧倒的正論!」と推薦文を寄せているのも、著者がヒップホップを意識して書いていることと関係があるのかも知れない。もしこの本を読みながら同じイメージの曲を探すとすれば、コモンの「リサレクション」はどうだろうか。イントロの雨音みたいなくぐもった雑音を聴いていると本の冒頭に出て来る梅雨空の描写が自然にイメージできるし、口が悪いのに最終的にはいいこと言ってるあたりも佐々木中とコモンは似ていると思う。
Resurrection

Resurrection

情報を遮断し、情報の持ち合わせがないということは、いまの時代では愚かに見えるということと同じだからです。しかし、私は愚かさを選んだ。無知を。(第一夜)

何かとてもみな嬉々として衰弱しているように思えた。燥(はしゃ)ぎながら深く何か不安に濡れているように見えた。(第一夜)

ニーチェショーペンハウアー夏目漱石スタンダールロラン・バルトヘンリー・ミラーも、そしてマルティン・ルターも全く同じことを言っています。「本は少なく読め。多く読むものではない」とね。(第一夜)

あの低劣で悪血にまみれた終末論に祈りを捧げ続けたいのなら、それは結構なことです。一生懸命に手を合わせて祈り続けるばかりでなく、自ら率先して一人で勝手に終わって下さい。(第四夜)

文学が終わっただの純文学は終わっただの近代文学は終わっただの、もう何百年も何十年も繰り返し言われている。そう口にする自分だけは新しいと思っているわけでしょう。俺って新しいこと言ってると思ってるんでしょう。残念でした。そんなことはもう飽き飽きなんですよ。(第五夜)

 一貫して攻めの姿勢を崩さない問わず語り。そしてこの言い過ぎ感。くすぐられているみたいでクセになりました。

 この本が情報媒体ではなくヒップホップであるとすれば、ここで要点だけまとめて伝えるのには無理がある。しかしながら読んで感動するところがあった以上、少しでも魅力を語っておきたい。いろいろと難しい単語が使われてはいるものの、著者のメッセージは比較的明快で、文学と藝術の力を使って次世代の子どもたちを暴力から守る世の中を作っていこう、ということだ。

 私なりにこの本の趣旨を書き直してみる。12世紀のヨーロッパに起源をもつ集団政治の仕組みは、これまで藝術を法や規範、政治とは別のところに置いて「娯楽」「飾り物」「贅沢品」とみなしてきた。その結果、集団ルールの規準が「再生産」を阻害するものになってしまった。ほんらい政治単位としての「国家」よりも大きな概念である「文化」を法や政治、経済に従事する人々が自分たちの枠組みのなかにはめ込もうとして「情報」として処理した。いまや世界中に情報としての藝術は飛び交っているが「子どもを産み育てる」営みと藝術が切り離されてしまっている。藝術とは本来再生産のためにあるもので、中でも文学は群れから血縁的、身体的にはぐれてしまった人々を見殺しにせず社会の構成員として守るために必要なものだ。
 文学はいつの時代にも困難であったのだから、いま困難だからといって絶望する必要はない。こんにち大文豪と呼ばれる人々は、いまよりもっと読み書きができる人が少ない世界で傑作を書いた。文字文化は、人類が誕生してからまだ20万年しか経っていない。ひとつの種の平均寿命を400万年とすると、私たちにはあと380万年、文学を読み、書く時間が残されている。

 だいたい上のようなことが、私がこの本から読み取ったことだ。きっと読む人によってひっかかる部分が違うと思うので、この『切りとれ、あの祈る手を』を読んだ人は、いちど何か書いてみることをおすすめします。本に携わる人々を強く勇気づける熱い声がつまった一冊。(波)