その85 さんま言うところの「ほんまでっか」な本。

 にものを薦めるのはむずかしい。
 自分がいいものだと思って、相手にもいいものだと思ってもらえるのなら、話は簡単だ。自信を持って薦めればいい。また自分がよくないものだと思って、相手にもよくないものだと思われそうなら、そんなもの薦めてはいけない。
 でも、世の中はそんな単純には出来ていない。
 自分がよくないものだと思っても、相手にいいものだと思ってもらえるのなら、薦めた方がいいのだけど、自分の気持ちをカッコに入れているのでなんだか気持ち悪い。自分がいいものだと思っても、相手にいいものだとは思ってもらえず、悲しいことだってある。セールスマンならどんな分野であれ苦しむところだ。
 さらに、よく分からないときがある。
 自分ではいいものかよくないものか判断できない。相手にもいいものと思ってもらえるかどうか想像できない。ひょっとしたら、自分も相手も分からなくなってしまうかもしれない。それでも分からないことを共有したい。分からないことを共通の土台にして、いっしょに考えることだって、一つの方法だ。

公共事業が日本を救う (文春新書)

公共事業が日本を救う (文春新書)

 政府が多くの公共事業を「仕分け」の対象として、ダムや港、道路、橋の予算を削っている。その前提となった「公共事業のバラマキが財政を悪化させた」という「公共事業悪玉論」は本当なのだろうか。この本ではデータを用いて、財政悪化の原因は社会保障費の増大であり(たしかに)、道路や港湾整備が遅れていることで豊かな暮らしが損なわれたり国際競争力が低下していることを指摘する。さらに高度成長期に作られ老朽化が進む橋脚の補修が滞ることで、アメリカで一時話題になったような橋桁の落下事故が日本でも起きかねないことを警告し、またダム建設の凍結によって首都圏に大規模な洪水が発生し、生命や安全が脅かされるという。
 著者は「現代文明社会の中では、『人』は『コンクリート』の中で、『コンクリート』に守られつつ暮らしている」という。たしかに田中康夫の「脱ダム宣言」や民主党の「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズはとても響きがよいので、国民が共有する「気分」になっていた。大した検証もせずに、みんなで何となく正しいと思い込んでいた。甘い言葉にはかならず危うさがつきまとうにも関わらず。
 だから著者の警告は深く突き刺さるのだけど、「現時点で日本が財政破綻することはなく、デフレ脱却のために波及効果の高い公共事業へ積極的に投資すべき」と言われてしまうと、眉につばをつけたくなる。あまりに刺激的すぎて、マルクスがダメだからこれからは天皇万歳で行きましょうと、転向を唆されているようだ。この違和感が今までの信仰が崩れたショック状態による一時的なものか、著者の論のどこかに無理があるのを直感しているためなのか、それも分からない。
 分からないときには、みんなで考えたい。それだけ面白い論考です。(藪)