その85 さんま言うところの「ほんまでっか」な本。
人にものを薦めるのはむずかしい。
自分がいいものだと思って、相手にもいいものだと思ってもらえるのなら、話は簡単だ。自信を持って薦めればいい。また自分がよくないものだと思って、相手にもよくないものだと思われそうなら、そんなもの薦めてはいけない。
でも、世の中はそんな単純には出来ていない。
自分がよくないものだと思っても、相手にいいものだと思ってもらえるのなら、薦めた方がいいのだけど、自分の気持ちをカッコに入れているのでなんだか気持ち悪い。自分がいいものだと思っても、相手にいいものだとは思ってもらえず、悲しいことだってある。セールスマンならどんな分野であれ苦しむところだ。
さらに、よく分からないときがある。
自分ではいいものかよくないものか判断できない。相手にもいいものと思ってもらえるかどうか想像できない。ひょっとしたら、自分も相手も分からなくなってしまうかもしれない。それでも分からないことを共有したい。分からないことを共通の土台にして、いっしょに考えることだって、一つの方法だ。
- 作者: 藤井聡
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2010/10/20
- メディア: 新書
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著者は「現代文明社会の中では、『人』は『コンクリート』の中で、『コンクリート』に守られつつ暮らしている」という。たしかに田中康夫の「脱ダム宣言」や民主党の「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズはとても響きがよいので、国民が共有する「気分」になっていた。大した検証もせずに、みんなで何となく正しいと思い込んでいた。甘い言葉にはかならず危うさがつきまとうにも関わらず。
だから著者の警告は深く突き刺さるのだけど、「現時点で日本が財政破綻することはなく、デフレ脱却のために波及効果の高い公共事業へ積極的に投資すべき」と言われてしまうと、眉につばをつけたくなる。あまりに刺激的すぎて、マルクスがダメだからこれからは天皇万歳で行きましょうと、転向を唆されているようだ。この違和感が今までの信仰が崩れたショック状態による一時的なものか、著者の論のどこかに無理があるのを直感しているためなのか、それも分からない。
分からないときには、みんなで考えたい。それだけ面白い論考です。(藪)