その84 雑音の聞き方を学ぶ本。

 レックス・ロスの『20世紀を語る音楽』という本のなかに、作曲家マーラーの言葉が紹介されている。「コンサートホールや歌劇場の観客席にいる何千人もの人々に聞いてほしいと思うのなら、ただたくさんノイズを書くしかない」。
 この言葉を目にしたとき、たくさんの人々の注目を集めて褒められるものを、たんなる雜音だと言えることはとても自由だと思った。
 私の仕事は本を売ることなので、ひとつの本がたくさん売れると多くの人が喜んでくれる。だからつい、たくさんの人に読まれる本こそが、この世の中には本当に必要な本であり、たくさんの人に読まれる本を作るか探すかして、多くの人に届けることが自分の使命のような気がしてしまう。けれど、自分が一人の読者になってたくさん売れた本を読んでみると、全然感動しないことがある。いっぽうで、全然売れなかった本を読んでみると、これも圧倒的に全然感動できなかったりする。
 いずれにしろ感動しないのなら、せめて売れた方がいいと思って一生懸命売れるものに肩入れしているが、その判断がほんとうに正しいものなのか、ときどき不安に思う。だからマーラーの言葉を読んだとき、ここには何か大事なことが書かれている、と感じた。

20世紀を語る音楽 (1)

20世紀を語る音楽 (1)

 この本の原題は”The Rest Is Noise—Listening to the Twentieth Century”。20世紀に耳を傾ける—そして雜音が残ったという意味だ。

ジョン・ケージはその著書『サイレンス』のなかでこう述べている——「どこにいようと聞こえてくるのはほとんどノイズだ。ノイズは無視するとかえって邪魔になる。耳をすますと、その魅力が分かる」。
 本書の主題である二〇世紀のクラシック音楽作品は、多くの人たちにとって雑音(ノイズ)のように聞こえる。ひじょうにやっかいな芸術、社会に受け入れられないアングラ芸術だ。

 「ザ・レスト・イズ・ノイズ」という言葉は、音楽領域を超えて普遍的な認識になりうると思う。耳に聞こえる雑音だけでなく、こうやって日々目にしている文字情報だってノイズだ。いま日本に暮らしていると、テレビ、新聞、雑誌、携帯サイト、メール、ブログ、ツイッターなどにつぎつぎと、たくさんヒットしたものが現れては消える。起きている時間ずっとそうやってたくさんのヒットに接しているとだんだん疲れてくる。ヒットした情報が素晴らしいことはわかるけど、もっと別のものだって同じくらい必要ではないか。ここではないどこかにもっと正しい生き方があるのではないか、そんな気がしてくる。
 しかし、この壮大な音楽史を読んでいると、21世紀に生きる私たちに残されている価値は雑音のなかにあり、雑音を聞くこと、ノイズに目を向けることなしに今を生きることはできないという考えが、だんだんと腑に落ちてくる。なぜなら20世紀には、雑音を消して生きようとする人々たちの魅力的とは言い難い生き方があったからだ。

 『20世紀を語る音楽』のなかには、ヒットへの強迫観念なしに作曲に励んだ人たちが登場する。第二次大戦後のドイツ、ダルムシュタットに集まったシュトックハウゼンら前衛と呼ばれる作曲家たちだ。

数世紀におよぶ教会、貴族階級、ブルジョワジー、そして一般大衆への従属を経て、作曲家たちはついに思うままのことができるようになった。選択の自由を奪うスタイルをとることすら可能だった。若いドイツの作曲家たちのリーダー、シュトックハウゼンはこういう言い方をした。「シェーンベルクの偉大な業績は、作曲家にとっての自由を主張したことでした。それは社会とメディアを支配するテイストからの自由、干渉されることなく発展するという音楽にとっての自由を意味します」。

 戦後のドイツには、ナチスの大量殺戮への反発から、西側諸国によって、いままでヒットした音楽とはまったく別の音楽を作るためのセンターが創設されていた。そこではきわめて「自由な」音楽創作がなされたが、資金を提供していたのはCIAだった。戦争の悲劇から逃げようとする音楽が、共産圏との文化戦争をするアメリカ合衆国の政治によって支援されていた。また、ダルムシュタットで行われていたきわめて自由な音楽活動は、進歩への強迫観念からは自由ではなかった。そこでは、反ナチス、反共産主義イデオロギーにそぐわない芸術形式は認められていなかったのである。

ダルムシュタットの合言葉は、ナボコフの音楽祭と同じように、「自由」だった。……しかし、皆が自由だと感じたわけではなかった。前進する自由はあったが、戻る自由はなかった。

 沢山の人から小額のお金をもらって生きようとするとき、人は単純さを求められ、選ばれた少数の人から多額のお金をもらって生きようとすると人は複雑さを求められる。表現形式の自由を求めた芸術が無自覚にイデオロギーの手段になるグロテスクな図式を知ると、私たちは芸術を評価するときに単純さ、陳腐さを恐れる必要などないのだということがわかってくる。

20世紀を語る音楽 (2)

20世紀を語る音楽 (2)

 アレックス・ロスは、この本のなかで一つの音楽芸術の内容について語る一方で、その芸術がどういう境遇から生まれたかについても詳細に記している。同じ視点で『20世紀を語る音楽』は誰が書いた本なのか考えてみると、この本はハーヴァード大学を卒業して『ニューヨーカー』誌の音楽批評を担当して生計を立てているゲイが書いたものだ。全編を通してエリートのするどさと、マイノリティの優しさが溢れている。扱っている作曲家も、マーラーシュトラウスシェーンベルクガーシュインストラヴィンスキーシベリウスブーレーズブリテンライヒ、ケージetc.とめちゃくちゃ幅広い。作曲家の名前は聞いたことがあってもCDを買ったことのない私のような読者のために、著者のブログにはこの本に出てくる作品を試聴できるページも用意されている。
http://www.therestisnoise.com/2007/01/book-audiofiles.html
 アカデミックな内容の本だけど、語り口はとてもポップだ。全体を流れるせつなさ、失われたものへの哀悼、ときに噴出するゲイの作曲家たちへの熱い語りとBL的風景の詳細な描写は単純に読み物として面白い。文字はクラシックを記述するのに向いていて、ポップミュージックを記述するには漫画のほうが向いているのかもしれない。この本を読みながら、そんなことも思った。(波)