その81 戸塚ヨットスクールが、まだ続いている。

 戸塚ヨットスクールが、まだ続いている。
 30年前の事件をリアルタイムで知るわけではないが、それでも「戸塚校長=体罰=暴力=悪」という図式は刻み込まれている。戸塚校長はじめ関係者は逮捕され、とっくにスクールは潰れたと思っていた。
 東海テレビの取材班が現在のスクールに迫ったドキュメントを紹介したい。

戸塚ヨットスクールは、いま――現代若者漂流

戸塚ヨットスクールは、いま――現代若者漂流

 スクールは初めから体罰教育を目的としていたわけではない。世界的なヨットプレーヤーだった戸塚宏氏が、ヨットの楽しさを子どもたちに伝えたいとして、ヤマハと共同で立ち上げたのだという。ところが、たまたま受け入れた問題児の教育に成功したことでマスコミが注目した。当時、問題になっていた校内暴力や非行に走る生徒を引き受け、スパルタを徹底した結果があの事件だった。
 時代は変わり、今のスクールで受け入れるのは引きこもり、ニート、登校拒否である。彼らに対して、体罰による指導はしないという。刑務所から戻った戸塚校長は、今でも体罰は教育だと思っているそうだが、こう続ける。

体罰をしたら、また、ここが潰れてしまうからね。潰すわけにはいかん。ここを必要としている人がいる限りは、わずかでも良いから成果を上げ続けないといけない」

 石原慎太郎のように、体罰を復活させるべきとは思わない。腕力で強制的に子どもを従わせる方法は無効でないけど、用いる側が力をふるっただけ痛みを感じられなければ確実に暴走するし、それをコントロールできるほど普通の人は強くない。
 ただ、体罰といういわば必殺技を失ったスクールは、教育に苦労する。海上で不安定なヨットをあえて用いたり、生徒間のいじめを肯定したりときわどい指導を行うが、あと少しというところで脱走されたり、繰り返しスクールに戻ってきたり、もっと悲惨な結末ももたらされる。
 それでも家庭や学校、自治体など、世の中すべてに見放された子どもを受け入れようと試みる戸塚氏の信念には、頭を下げなければならないところがある。
 京大のカンニング事件でも分かるように、教育問題は少なくとも一生に一度(親となり子育てすればその数だけ)は当事者になるので、ヒートアップしやすい。誰もが「メディアは騒ぎすぎ」といいながら、後でその人なりの教育に対するいろんな思いを告白しだす構造がある。戸塚ヨットスクールについても体罰は善か悪かで大きな論争になったが、その論争は今の社会に何をもたらしたのだろうか。テレビや新聞でわいわいやっていた連中と、潰れかけのスクールを必死で守る戸塚氏らと、どちらが教育という点で有効だろうか。
 この本の元になった映像作品は、「平成ジレンマ」という映画になって上映中。http://www.heiseidilemma.jp/(藪)