その79 もう選挙なんてやめてしまえばいい。

 う選挙なんてやめてしまえばいいのにと思った。
 ありがたいことに、日本ではすべての成人に選挙権が与えられる。江戸時代までは庶民に選挙という概念すらなかったのだし、近代に入っても納税額や性別によって投票が制限されていた。先人の努力に加えて、敗戦によるアメリカ民主主義の強制輸入という幸運によって、僕たちは好きな政党の好きな候補者に投票できる。本当にありがたい。
 結果については、満足するときもあれば、いろいろ言いたいときもある。民意とやらに絶望してゲバ棒振り回したくなることがあっても、しょせんは多数決なのだから仕方ない。
 満場一致はあり得ないにせよ、とりあえず日本人の総意として選んだ政治体制のはずだ。ところがほとんどの場合、時間の経過につれて満足度(支持率)は下がり続けて、次の選挙で取り替える羽目になっている。別に民主党政権に絞って言ってるわけではなく、バブル崩壊以降は同じような状態だ。
 選んでも選んでも幸せになれない。それはダメ人間を結婚相手に選んで別れを繰り返すようなもので、選んだ相手の問題ではなくて、選び方や選ぶ方の問題ではないか。ならば自分たちで選ぶことをやめてしまえばいいのではないか。そもそも、選ぶことってなんだろう、という問いを掘り下げたのがこの本である。

選択の科学

選択の科学

 コロンビア大学ビジネススクールの講義録である。アメリカの、しかもビジネススクールといえば、まさに「自由と選択」の本家本元といえよう。できるだけ多くの選択肢が用意されて、できるだけ多くの人が好きなように選べる世の中がすばらしい――本当に? 著者はさまざまな実験を通して教えてくれる。
 たとえば、職業から結婚相手まで自由に選べる社会と原理主義のように選択を否定される社会、どちらの人間が楽観的で、精神的に健康で、ひらたく言えば幸せだろうか?
 仮に子どもの生命維持装置をはずさなければならないとき、医師は家族に黙って外すべきか、状況を伝えて外すべきか、あるいは状況を伝えて判断を任せるべきか?
 章題として並ぶ「『強制』された選択」「選択を左右するもの」「選択は創られる」「豊富な選択肢は必ずしも利益にならない」「選択の代償」……読めば読むほど、自分で判断することの難しさが伝わってくる。だが著者は言う、不確実性と矛盾があるからこそ、選択には力が、神秘が、そして並外れた美しさが備わっているのだと。

 つまり、選択は人生を切りひらく力になる。わたしたちは選択を行い、そして選択自身がわたしたちを形作る。科学の力を借りて巧みに選択を行うこともできるが、それでも選択が本質的に芸術であることに変わりはない。

 選ぶことで傷を負うことはある。逃げずに受け止めなければいけない。しかし選ぶことのできない生活はあまりにもったいない。この本を読み終えたとき、選ぶことの楽しさが、再びあなたの人生を彩ってくれることだろう。(藪)