その78 寒くて哀しい話。

 倉健は気温を下げるほどシブ味が出ておいしくいただける、と昔リリー・フランキーがコラムに書いていた。そんなことを思い出したのは、昨日までずっと、話題になっている文庫『海炭市叙景』を読んでいたからで、その解説にこういう文章があったのだ。「『海炭市』の冬の寒さに対応するかのように、文章が引き締まっている」。

海炭市叙景 (小学館文庫)

海炭市叙景 (小学館文庫)

 『海炭市叙景』は函館出身の作家・佐藤泰志が自身の故郷をモチーフにしたと思われる架空都市に生きる人々について描いた群像短編集。去年の秋から冬にかけて、まわりでこの本について語る人がどんどんふえていった。そして朝日新聞の書評を見て、これはやっぱり読まなくちゃと思って買ったのだ。
 41歳で妻子を残して自殺した作家の遺作。私は作品を作品として読む、ということが苦手なほうで、やっぱりその人がどんなふうな生き方をしたのかということが、読んでいるあいだずっと頭にひっかかる。だからこの本のことを、ほめると、41歳の自殺についてもほめるような気になって複雑な心境だ。これはピストル自殺をした作家、リチャード・ブローティガンについて考えるときも同じことで、作品が素晴らしいほど、頭にうかぶのは「かわいそうなリチャード」という言葉だ。だからこの短編集についてもいいなあと思うほどに感想は「かわいそうな泰志」に近くなる。
 2章立てで、9作品ずつ、計18編が収録されている。架空の都市「海炭市」について冬と春の情景が描かれていて、ほんとうはこれに夏と秋が加わって36編の連作になるはずだったのだという。解説に「けれども、このように終わりがもたられたということは、意図されたものではないとしても、ただ進行を中絶させたという『未完』とはちがっている」とあるが、私もこの点には同意する。秋はいいにしても、あのテンションで夏を描くのはやっぱり難しかったのではないだろうか。それはリリー・フランキーが「『幸福の黄色いハンカチ』を見て、“健っさんっ!!”と声をかける人はいない」と書いたのと同じ意味で。
 ともあれ、読んだらだれかに話したくなる本だ。私が好きなのは、場末の女郎屋に息せき切って乗り込んできた船乗りがやらせてもらえずに怒り狂って長靴を脱いでしまう話「裸足」。読んだあとになんともいえず温かい気持になる。そしてまたしてもリリーさんの名言を思い出す。「男はいつも、哀しみと性欲のツイン・スパーク」。寒い街だからこそのシブ味を感じる一編だ。(波)
日本のみなさんさようなら (文春文庫PLUS)

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