その77 旧正月お祝い申し上げます。

 もなく旧正月だ。
 年末年始はにぎやかで独り身には寂しい日本を逃げ出すように雲南をふらついていたけど、そんな中国の正月である春節の騒がしさは日本の比ではないという。なにしろ700億近くかけて建てた新築ビルに打ち上げ花火をぶち込んで、華々しく燃やしてしまうくらいだ。(参照)大きいこと、派手なことを重んじる中国人も、さすがに度肝を抜かれたらしい。
 巨大な仕掛け花火となったこのビルは、中国中央電視台(CCTV)電視文化センターである。同じエリアに建設されたCCTVの新本部ビルは花火にされることなく完成したそうで、螺旋階段トリックアートのような巨大建築が北京にそびえ立つ。
 このCCTVは、日本のNHKのような存在だが、スケールが違う。中国でホテルにチェックインしたら、テレビをつけてほしい。総合、財経(ファイナンシャル)、総芸(アート)に始まって、中国語放送だけで現在15チャンネル。なかには軍事・農業チャンネルなんてのもあって、共産党の歴史に思いをはせることができる。国営かと思ったら政府の補助はなく、広告料で運営されているというのだから、法律を盾に貧乏人から受信料をむしり取るどこぞやの公共放送様も見習ってほしいものだ。
 さておき、中国の番組は漢字の字幕がつくのでありがたい。ボーッとニュースを眺める。中国共産党の「指導」が入るとあって、政権に批判的なことはほとんど報道されない。当局を叩くのが主な仕事のようになっている日本のテレビに慣れてしまうと、清々しいくらいだ。
 僕たち日本人は中国に言論の自由がないことを知っている。だから国民は真実を知らず、政府がすべてをコントロールしているかのように思い込んでいる。中国人の考えていることがただ一つのように錯覚している。
 でも、人間の「知りたい」「伝えたい」という気持ちは、抑えられるほどに爆発するようだ。話を聞くと、厳しい規制に負けずネットの抜け穴を使ったり、ニュースの一言一句からニュアンスを読み取ったりして、それなりに情報をやり取りしている。古くは天安門事件の起きたとき、報道番組のキャスターに政府に対して批判的な発言は許されなかったが、喪服のような服装で、訃報を伝えるような読み方で、ニュースを流したという。
 言いたいことを言って当たり前という環境に慣れている日本人には難しいことだが、中国発の報道は、真に受けるとバカを見るのだ。たいてい裏がある。民主主義のぬるま湯にどっぷり漬かるあまり、自由にものをいえない相手の立場を想像できず、頭に血を上らせて正面からぶつかるのは愚策だろう。
 中国人がなにを思っているのか、どんなふうに考えるのか。「尖閣なんていらない?」「少数民族の方が得?」「レアアース規制はやむを得ず?」「次のトップは胡錦涛主席と対立?」など、目から鱗が落ちる一冊を、対中思考の一助としておすすめします。(藪)

中国の言い分 ?なぜそこまで強気になるのか?? (廣済堂新書)

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