その76 オールドファッションを愛する人に。

 「のプレリュード」をはじめとして、カーペンターズの代表曲のいくつかを作ったポール・ウィリアムズというシンガーソングライターの「Just An Old Fashioned Love Song」というアルバムがとても気に入っている。ミスタードーナツに行くと必ずオールドファッションを買う。食べるとくるりの「オールドファッション」という曲を思い出す。何故なのかはわからないが、私はどうもオールドファッションという言葉の意味する何かが好きなようだ。会ったことも無い人を一方的になつかしむような感情が好きなのだ。
 おそらくこれは、はっきりと理由のわからないものに親しみを感じるとき、脳内で神ランプが点灯するからだと思う。ああ、会ったこともないのに懐かしい。これは運命だ、神のおぼしめしなのだ、私も晴れて大きなデザインの一部になれたのだと思って安心をキメているのだ。

Just an Old Fashioned Love Song

Just an Old Fashioned Love Song

 ウィリアム・トレヴァーの小説について考えていたら、なぜか上のような想念が浮かんできた。日本人である私がトレヴァーの小説を読んで感じる喜びには、神への憧れが関与しているように思えて仕方ない。歴史も風土もよく知らないアイルランドの人々。なのに、彼の小説に出てくる登場人物の意識は時空を超えて私と近いところにいる。
 たとえば「トリッジ」という小説に出てくる「ポリッジ(おかゆ)」みたいな名前の少年。彼は何をするにも飲み込みが悪くて、しかも本人はそのことに「傍から見ていていらいらするくらい」気づいていない。そんな少年に教師がなにげなく言ったひとこと「トリッジ君は本当の幸せってものを知ってる」。そしてその「トリッジ君の本当の幸せ」を持ちネタにして笑いものにするクラスメイトたち。具体例は違っても、こういう場面には見覚えがある。いつの時にそう感じたかは忘れてしまっても、出所のわからない悪意に出会ったことは忘れていない。そして大人になったとき、あのときがいかに愚かであったかがわかる。同時に、その愚かさがいつの時代も子どもにはわからないことに何とも言えない悲しみを覚える。自分の手に負えないところで愚かさが繰り返されるのだという事実に慄然とする。この慄然とする感じが、ウィリアム・トレヴァーの作品世界にはしばしば出てくる。トレヴァーの小説では人間に組み込まれた愚かさと、それにもかかわらず何かをひたむきに信じようとする人間の行為とが綱引きをしているような感じを受ける。
 ウィリアム・トレヴァーの評価は世界的に確定している。アイルランドイングランドで活躍する作家に与えられるホワイトブレッド賞をはじめ数多くの文学賞を受賞しており、2010年には彼の短篇選集がニューヨークタイムズ紙が選ぶ今年の10冊に選ばれた。同紙の書評によれば、アリス・マンローと、ウィリアム・トレヴァーが現代最高の短篇作家なのだそうだ。英語圏の話だから、世界の片隅にはもっといい書き手がいるような気もするが、すくなくともこの『聖母の贈り物』という短篇集を読んだ後の私は、ああたしかに最高だと思った。とくに荒れ果てた古い屋敷を守ろうとする少女の年代記マティルダイングランド」という連作短篇がすごい。やっぱりこういう本があるから読書はやめられない、と思った。
 その69で藪氏が紹介している『アイルランド・ストーリー』はこれから読むところ。とちぎさんの名訳で読める日本に生まれてよかった。(波)
聖母の贈り物 (短篇小説の快楽)

聖母の贈り物 (短篇小説の快楽)