その75 町工場はなぜ失われたか?

大森界隈職人往来 (岩波現代文庫―社会)

大森界隈職人往来 (岩波現代文庫―社会)

 「ちこうば」という言葉の響きに、甘い郷愁を催す人も多いのではないだろうか? 思い出すのは高度成長期で元気いっぱいの日本の姿だ。決して豊かとはいえない私たち、でも頑張って働けば、明日は今日よりきっと良くなる。そんな思いを胸に、アパートすぐ隣の町工場で朝から晩まで働く、という国民の記憶はノスタルジーに味付けされて、遠く僕たちにも受け継がれている。
 ところが実際に日本が歩んだ道は、町工場を町から追い出し、ただの工場として埋め立て地や郊外・地方に移すことだった。誰が悪いというのでもない。騒音や震動といった公害を解決するために、みんなが支持したからこそ、こうなったのだ。しかし、著者の小関さんはこう語る。

 これはまるで、町のなかから生産の姿を追い出して、消費の町であることがしあわせであるかのような錯覚に、人びとが陥っているのではないか。

 この本では、昭和8年東京・大森に生まれた小関さんが、高校を卒業したあと、旋盤工として長らく勤めた大田区内の町工場が描かれている。
 祖父母の代には海苔の養殖や漁業で身を立てていた小さな村に、都心に近いことを活かして工場が集まってくる様子。チンピラと喧嘩をした職人が、警官に「この手にもしも怪我をさせたら、お国のために大変な損失だ」と叱られた戦時下。アメリカ軍の厳しい検品に驚くとともに、政治的立場からわざと不良品を出すような工員がいる朝鮮戦争期。立ち仕事のしすぎで座ることが苦痛になり、二本立ての映画のうち一本を立ってみるようになるほどの高度成長。まさに町工場から見た昭和史を豊かなエピソードと巧みな筆であぶり出す。

 町工場を渡り歩く職人は、ゆるやかな渦を巻いて流れたが、どこかの杭にひっかかっては新しい技能を身につけ、工場世界についての見聞をひろめて、また杭を離れた。

 町工場は一つの工場として存在するだけではなかった。工場と工場はゆるやかにつながり、工場と生活空間もまたむすばれて、全体として成立した「ものづくりの町」を数多くの職人が渡っていったのだ。
 現代の私たちはそういった生産の町を(ほとんど)持たない。どこも消費のための街だ。繰り返すけどそれが悪いとはいわない。ただ失ったものを立ち止まって考えるために、真新しい気持ちで時間を眺められるこの時期はいいと思うのだ。(藪)