その71 我々はなぜ話しあうのか。

 去を率直に振り返り、悲劇を繰り返さぬよう学びあう−−誰も反対できない正論だ。しかし先の戦争に限っても、日本とアメリカが、日本と中国が、日本と南北朝鮮が、戦争がなぜ回避できず、どうして早く終えられなかったのか、クリアに話し合い、意見の一致を見たとは聞いたことがない。実現するためのハードルは高い。
 ベトナム戦争を戦ったアメリカ、ベトナム双方の政治家、外交官、軍人、研究者らが集ってなぜ戦争をしたのかを話し合う、スリリングな試みのドキュメントを紹介したい。

我々はなぜ戦争をしたのか (平凡社ライブラリー)

我々はなぜ戦争をしたのか (平凡社ライブラリー)

 この本に通底するのは祈りのような叫びである。

アメリカ】ロバート・マクナマラ氏「(戦争目的について)我々が当時恐れていたのは、ベトナムが、中国やソ連の手先となって共産主義の拡大のために動くことでした。…あなた方は当時、今日のように我々に説明すべきだったのです。ソ連や中国の手先となって動くつもりはない、とはっきり言うべきだったのです。」
ベトナム】ルー・ドアン・フイン氏「(ラオス中立化が北ベトナムによって破綻したというアメリカの指摘に対して)しかし我々北ベトナムには、ラオスの状況を変えようとか、さらに共産地域を拡大しようなどという気持ちはありませんでした。我々の目的をアメリカは理解すべきだったのです。」
アメリカ】チェスター・クーパー氏「我々はまるで、相手を目の前にして目隠ししたままぐるぐる歩き回っていたようなもので、双方を正しく理解するには、あまりに多くを知らなすぎたのです」

 交わされる「知りたかった」「知ってほしかった」「知らせてほしかった」の言葉。泣きわめく子どもではなく、殺し合った国と国の要人の言葉である。戦争の目的から、南ベトナム中立化構想の消失、北爆=全面戦争への突入、秘密和平交渉の破綻、どの段階においても、互いの無知と交流のなさが事態を悪化させていた。
 話し合いが結果を生むとは限らない。誤解を解くために行われたこの対話でも、双方の立場は大きく隔たっていた。「アメリカは間違っていた、しかしベトナムにも誤りがあったのではないか?」と主張したいアメリカ側、「アメリカが一方的に攻め込んだのだから、北ベトナムに一切落ち度はない」と反発するベトナム側。それは最後まで変わらなかった。
 話し合いは結果を生まないことの方が多いのかもしれない。しかし、互いの無知や誤解が最悪の結果を招くことを、そして無知や誤解を解くのがいかに難しいことであるかを、共通の認識として持ち、それでも話し合いのテーブルにつく覚悟を引き受けることが、致命傷を避けるためのリスク回避になることを教えてくれる。
 何度でも繰り返す。お人好しの日本人が思い込むように、話し合いが全ての問題を解決するなんてあり得ない。言葉を用いるのが神ではなく人間である以上、魔法にはならないのだ。しかし話し合いは最悪の事態を回避する手段である。言葉は神によってもたらされた、お互いを理解するための力なのだ。決して万能ではないけど、僕たちの手にはそれしかない。(藪)