その69 山登りに必要なもの。

 のごろ、山登りに凝っている。丹沢の塔之岳山頂から遠く富士を望む眺望を写メールしたら、さっそく友人から返事が届いた。
「最近はやりの『山ガール』目当てに登山するとはなんたる軽薄!」
 蒙を啓くとはこのことだ。実際、山道を歩いてみれば、圧倒的に多いのは登ったまま下山してほしくないジジババだが、明るくて健康的な若い(好みの)女の子ともすれ違う。なるほど、リュック背負って山に向かうのはこのためだったのか。友は自分以上に自分のことを知っている。


 山登りをはじめてまず悩むのが持ち物である。何もない山頂で長期滞在するわけでもバーベキュー大会するわけでもないから、たいした荷物など必要なさそうなものだ。ただ、水ひとつにしたところで、水場のない山に入るときなど、一日に必要な量を計算して水筒につめなければならない。蛇口をひねれば、コンビニに行けば、という生活に慣れきっている僕にとって、水のことを考えるのは新鮮な体験だった。
 同時に、自分がいかに水で贅沢しているのだろうと思った。口にするだけでもビール、ホッピー、ウィスキー、日本酒(中略)、コーヒー、お茶といろんな味のものがあるし、当然それ以外にも風呂、炊事(これは見栄で書いただけ)、洗濯などで大量に消費している。しかし突きつめれば、人間にとって、一日に必要なのはコップ一杯の水だけではないだろうか。それだけあれば、生きるには充分ではないだろうか。

アイルランド・ストーリーズ

アイルランド・ストーリーズ

 この本に収録されている「パラダイスラウンジ」という短編は、20ページ足らずである。へんぴな田舎町に建つおんぼろホテルのバーが舞台だ。
 浮気相手とともに訪れた30代女性は、この恋が静かに終わろうとしていることを自覚している。罵りあうことも傷つけることもない。ただ、無意味でバカバカしい別れ際のセックスを前に、男の言葉を聞くともなく聞いている。
 一方、80歳くらいの老女は、毎週土曜日にやってくる。友人夫婦と杯を交わし、お喋りするためだ。ただ、二人より必ず20分ほど早めにやってきて、2、3杯飲んでから迎える習慣になっている。
 いい加減ベッドに誘われた30代女性は、ラウンジの全員、といっても老女と老夫婦、バーテンとその奥さんに一杯おごると言い出した。

 彼女はくすくすひとり笑いした。「これはぜったいわたしのおごりですから」と早口で繰り返して、またくすくす笑った。

 その瞬間、二人の視線が交わる。お互いに察する。「あなたはラッキーなの、わかるでしょ」「なんて素敵なのかしら!」……。
 人生にはひとつの短編があればいいのかもしれない。真実を知るために、多くの言葉はいらないのだから。そして、自分のことを本当に分かっているのは、他人なのかもしれない。分かったところで、どうにもならないとしても。(藪)