その64 サンフランシスコで会った二人。(前編)

 1906年の大地震で崩壊したサンフランシスコ市が、復興のシンボルとして1915年に建設したシティーホール。1989年再度の大地震を経験したのち改修工事がなされ、ボザール様式の白亜で荘厳な姿は、アメリカ建築有数の美しさと讃えられる。
 例によって海外のひとり旅、淋しくないんですかとよく訊ねられるけど、今回は会ってみたい人が二人いた。その一人が案内してくれる。

 ミルクは、堂々とした丸天井に彫られたフリーズの精巧さをていねいに説明してやった。(…)そしてもちろん、列柱の並ぶゆったりとしたロビーに優雅な曲線を描く大理石の壮麗な階段の話も忘れなかった。まるでそれは、セシル・B・デミルの映画に出てくる威風堂々たるローマの宮殿のようだ。「市庁舎に来たらエレベーターなんか使っちゃだめだ」ミルクは言った。「かならず階段をのぼらなくては。そうすれば本当に市庁舎に入ったという気分を満喫できる」ミルクはそう言って、市庁舎にしばし思いをはせた。

 彼の名はハーヴェイ・ミルク、1970年代後半にアメリカでゲイとして初めて公職(サンフランシスコ市政委員)についたものの、在任わずか46週間にして凶弾に倒れた。ミルクと出会ったのはショーン・ペン主演の映画『ミルク』だった。もっと彼のことを知りたいと思い、昨年日本での公開にあわせて文庫化された評伝を手に取った。

MILK(上)-ゲイの「市長」と呼ばれた男、ハーヴェイ・ミルクとその時代 (祥伝社文庫)

MILK(上)-ゲイの「市長」と呼ばれた男、ハーヴェイ・ミルクとその時代 (祥伝社文庫)

 ミルクは初めから政治を志していたわけではなかった。若い頃の恋人は、ミルクが「世界を変革することよりもアパートの内装を変えることに興味を持っていた」と述べている。だが家族や友人、仕事仲間に囲まれる自分と、同性愛者としての自分の二重生活に、ミルクは安住できなかった。著者は記す。「彼は流浪者だった。まるで、生まれてからの四〇年間、大きくなったら何がしたいか探し続けているようなものだった。」
 ミルクはサンフランシスコ市のカストロ・ストリートに恋人と居を構え、市政委員に立候補する。当時のアメリカは同性愛者にとって地獄のようなもので、ゲイというだけで警官に暴行を受け、ゲイとわかれば教師や公務員はクビ、基本的人権など存在しなかった。そんな状況で、カネもコネもない男が選挙に出ようというのだから、正気ではない。
 しかしミルクはいう。「権力は与えられるものではなく、自分でかちとるものだ」
 ミルクはその人格で仲間を増やした。「たしかにやつはホモだ。だけど彼はおれたちと腹を割ってつきあってる」
 ミルクは徹底して市民の側にたった。のちに市政議員に当選した際、彼が取り組んだのは犬の糞始末だった。「犬の糞の問題を解決できる人間なら、サンフランシスコ市長はもとよりアメリカ合衆国大統領にもなれるよ。」
 そしてミルクは人々に語った。「公職につく者の本当の役割は、法律を通したり予算を承認することではなく、希望を与えることだ。」


 アメリカは自由と民主主義の国といわれる。それは民主主義が偉いのではなくて、あまりに様々な背景を持った人間が集まるために、民主主義でないと国をまとめることができないのだと思う。そんなアメリカで権力を握るためには、なによりも選挙で勝つことだ。相手でも一票でも多く得ようとするさまはエキサイティングで、まさに戦争だ。
 ミルクにとって政治は芝居だった。天性のエンターテイナーだったミルクは、メディアでもスター扱いだった。当選後、シティーホールで彼は言う。「僕の新しい劇場をどう思う?」
 苦しむもの、悩むものは、表現を求める。逆に苦しみも悩みもない人にとって、表現は必要ない。書くことがないのなら、書かなくていいのではなく、書いてはいけないのだ。これ以上、ゴミを増やすことはない。同性愛者が迫害されていた時代のアメリカで、ミルクは政治という格好の舞台を得た。市政議員への当選後まもなく殺害される、その悲劇的な運命さえも、脚本に書かれているようだ。最後にミルクの演説を引いておこう。

 ゲイにやりとげることができるのなら、すべての人に扉は開かれているはずです。
 私が伝えなければならないメッセージがあるとすれば、こういうことです。私が当選したことで最も大切なのは、ゲイが選挙で選ばれれば、それが青信号になるという事実なのです。あなたも、あなたも、あなたも、人びとに希望を与えてください。ありがとう。

 サンフランシスコで会ったもう一人については、またそのうち。(藪)