その62 身近に潜む狂気をあぶりだした本。

 起床とともに布団を房の中心に縦にして積み上げ、そこの周りをぐるぐるぐるぐる回り始めた。番号を呼ばれるときだけサッと正座し、またすぐ立ち上がりぐるぐる布団の周りを回る。

 日たくさんの本が生まれているけど、「発狂した私」を描いたものは珍しい。2005年に浅草寺法隆寺など有名寺院から続けて仏像の盗まれる事件が発生した。犯人は観音様から次のようなメッセージを受け取ったそうだ。「人の集まる高名な寺から33体の仏体を集めなさい。そうすれば悪化する苦しみから救われるだろう」
 とてもじゃないが精神がまともな状態にあるとはいえない。この本は犯人がなぜ仏像に手を出したか、その結果どうなったかを記したものである。過激にいってしまえば、頭がおかしくなった人の書いた本なのだが、ものすごい吸引力があるのだ。なぜか?

林の中の聖堂

林の中の聖堂

 幼い頃から喘息を患い、体の弱かった著者は大学卒業後、大手損害保険に入社し、「営業の天才」といわれるほど優秀な成績を上げた。新しい保険のスタイルを作り上げようと企業立ち上げに奔走するが、オーナーと衝突して精神も肉体も蝕まれる。重なる通院、増える薬の果てに、仏像集めの妄想に捕らわれてしまう。逮捕後、「世界遺産法隆寺)を傷つけた男」として大々的に報道され、世論の厳しさに、取り調べや裁判は迷走した。矛盾だらけの精神鑑定やプライドばかり高い弁護士との葛藤に、たびたび自殺を図るが、最終的に放り込まれた刑務所の生活に救いを見いだす。実にドラマティックだ。

 この本の居心地の悪さは、誰が悪いとも、何がいけないとも言えないところにあるのだと思う。物事を単純化してしまう新聞やテレビなら「犯人が悪い」で済む話でも、考えれば考えるほど深みにはまる。僕のように適当な生き方をしている人間は、心を病んだ人に対してなんとなく「ちゃんと生活して、結婚して、働けば大丈夫だよ」と思ってしまうが、彼はすべて満たしている。それどころか病弱の体をおして猛烈に働く、仕事人間である。彼は言う。「仕事はどこにいても仕事なのである。私にとっては生きる苦しみからの逃避なのである。」そんな人間を断罪できるだろうか?
 純度が高いあまり、生きづらさを抱える人間に、何ができるのだろう。彼らが至ってしまった狂気を、どう扱えばいいのだろう。考えても考えても、僕にはわからない。(藪)