その60 悩みを分かちあう本。

 といえば、旅のシーズンである。旅行代理店のコピーに従えば。
 そんな僕だって、性懲りもなく航空券の予約を入れていたりするのだが、旅に出ることで賢くなるのか問われれば、残念ながら首を横に振らざるを得ないだろう。本を読んだからといって人格が完成するわけでも頭が良くなるわけでもないように、知らない土地を訪ねたところで理解できることなど限りがある。
 たとえば、フランス絶対王政の象徴とされるヴェルサイユ宮殿について、『地球の歩き方』には「ルイ14世が実に50年近くの歳月をかけて造らせたもの。しかし浪費がたたって財政困難、国民の生活は困窮し、フランス革命への道を歩ませることとなった。この華麗さ、豪華さを見ると、それも当然かと納得がいくかもしれない。」とある。ところが、その実態はというと…

ヴェルサイユ宮殿に暮らす?優雅で悲惨な宮廷生活

ヴェルサイユ宮殿に暮らす?優雅で悲惨な宮廷生活

 豪華なフランス料理は山ほど余るので、腐敗を隠すためソースをかけられて使用人たちにまわされる。きれいな水の不足に悩まされる一方で、暖炉が無秩序に設置されたため火事の危険と隣り合わせ。電灯などないため、照明となる窓のある部屋と蝋燭と鏡は奪いあい。トイレ不足で清潔さとは無縁なうえ、洗濯物を干す場所がないため右往左往と、副題のとおり「優雅で悲惨な宮廷生活」が描かれる。

「テッセ伯爵未亡人の台所は(中略)崩壊寸前だったため、ノアイユ伯爵に通知ののち解体されました。なにしろ、王族の回廊の手すりの下にありますのに、皆がその上に投げ捨て続けた排泄物や腐ったごみで辺りが汚くなったので、この台所を鉛で封印しなくてはならなくなりました。ところが堆積物があまりに分厚く、悪臭を放っておりましたために職人が作業を拒み、まず屎尿くみ取り人にこれを取り除かせなくてはなりませんでした」
「私が唯一不便に感じておりますのは、散歩ができないことです。信じられましょうか?すばらしき庭園があるのに、季候のいい季節には通ることができないのです。特に、気温が上がってまいりますと、息づいているかのようなブロンズ像に囲まれた泉水、美しい運河、大理石の池、こうしたものが、遠くまで悪臭を放つ蒸気を発するのです」 

 このような状況なので、生活の必要に迫られた要求が次々と出される。悲惨なのは調整役の建設部長だ。かたや絶対的な権力者である王がいて、一方にはワガママいっぱいの貴族たちが待ち構えている。自分より強い者に挟まれた時の調整役ほど、難しい立場はない。
 たとえば部屋不足を解消するために、国王に「住居を与えないでくれ」と頼んでは無視され、夫の部屋のためと伯爵夫人からは色仕掛けで迫られ、玉突き式に部屋替えを画策しては断られる。じゃあどうすりゃいいんだ、という叫びが聞こえてきそうだ。
 フランスの絶対王制というと最高の権力と無尽蔵な富を想像するが、どんな資源も限りがあるし、自然に逆らうことはできないので、人間の集まるところには必ず問題が発生する。限られた資源をどう配分しようかとという時に、みんなが満足できる提案というのはなかなかないものだ。落としどころとしてはみんなが不満足、というところで手を打つしかないのだが、結果としてみんなに恨まれるのが調整役である。
 今も昔も変わらない。(藪)