その59 暑いので、字のつまった本は読みたくない人へ。

 日から今日、里帰りしていた嫁はんと息子を迎えに九州へ行ってきた。福岡で母の家に泊まったら、蝉の絶叫で目がさめた。
 福岡も暑い。東京も暑い。でもその暑さには、明確なちがいがある事が分かった。福岡の暑さは入道雲の暑さだが、東京の暑さは室外機のそれである。エアコンの効いているところにいるうちはいいが、それ以外の場所がねとーり暑い。
 福岡で、整体屋にいる人にその話をしたら「ああ、大名みたいな感じですかね」と言っていた。天神の西、若者が服を買いに行く大名地区は東京と同じような暑さなのだと。確かにあのへん、とくに西通り付近は雑居ビルが密集していてアジアの貧乏な街の暑さだ。

 それで、暑さに参って何か本のことを考えても林立するビルみたいな活字は見たくないと思ってしまった。だから、今日は1冊の詩集について話したい。小池昌代氏の編んだアンソロジー『通勤電車でよむ詩集』だ。丸善のサイトで紹介されているのを見つけ、吉祥寺のブックスルーエで買った。

通勤電車でよむ詩集 (生活人新書)

通勤電車でよむ詩集 (生活人新書)

 この詩集は3部構成になっていて「朝の電車」「午後の電車」「夜の電車」にそれぞれふさわしい詩が13〜14篇載っている。ひととおり読み終えるのに、1日かからない。でも1回よんだだけでは感動出来なかったりするのが詩の面白いところで、必ず何度か、それも気に入ったのを読み返すことになる。

 私が気にいったうちで、夏にふさわしいものを一つ転載します。


 北の町を歩いていて ふと川に下りたら
 
 もっと北の町の川が見たくなって 列車に跳び乗る
 
 繁華な城下町のまん中の 夏草に包まれた清冽な流れ
 
 長い全長のそこやここ 上半身裸の男たちが釣り棹を抛り
 
 海水パンツの子供たちが水しぶきを上げて走りまわる
 
 その東側をさかのぼり 西側をくだり 木陰で汗を拭く
 
 橋の上を通る鈴(りん)を呼び止め
 
 橋の下でアイスを舐める
 
 三時間ほど川に寄り添ったのち 帰りの電車に飛び乗る 
 
 身のうちが川になっているのを確かめ 安心して眠る

 この詩は高橋睦郎の「川がみたくて」という作品。読んでこの「川」あそこのことだ、と気づいた人はいるでしょうか。実は詩のサブタイトルにどの川かが書いてあるので、気になった人はぜひ本屋で探してみてください。
 私も実際にこの目で見たことがある川なのですが、あのほとりでアイスを舐めたらどんなにいいだろう、と思いながら、いま部屋であずきバーを食べています。(波)