その50 明日は祖母の誕生日。

かのぼること昨年11月。エントリ「その33」の最後で薮さんが「ヤトミックカフェ」のマスターとの往復書簡なるものにリンクを貼っていた。面白そうなのでちょっと読んでみたら、そのなかに心衝かれる文章があったので抜き書きしてみる。

本を読んで「著者と対話する」なんて言い方がありますけど、それは本当でしょうか?読書は、とことん受け身の行為です。書き手の言うことをとりあえず聞くしかない。だから対話ではなく、むしろ信仰に近いのではないかと思います。

さあ、はじまりはじまり。

れまで何気無しに手に取っていた本を、誰かに薦めるとしたら? という視点から見つめ直す契機になった「ブックブックこんにちは」への参加。わたしが導き出した結論は「誰かに本を薦めることはとても難しい」という至ってシンプルなものだった。同じ文章を読んでも感じ方は人によって違う。行間の向こう、陽炎のように立ちのぼる景色。個人の経験や嗜好に裏打ちされているそれが、誰かの見えうそれと一致することは少ない。まだ見ぬ世界を見る(人はそれを想像と呼ぶ)人もいるだろう、むかし身を置いていた世界に逆戻りする(人はそれを思い出と呼ぶ)人もいるだろう。本が日常の一部になっている人もいれば、救いを求めてそれを手にとる人もいる。行為と目的。


人はみな、自分のなかに図書館をもっている。こころのなか、うねうねと続く階段を下り、うす暗い廊下を歩く。長い廊下の先、古びたドアを開けるとかおる黴臭いにおい。ぱちんと音をたて灯りを点ければ本棚のうえ、静かに息づく記憶たち。色褪せたもの、鮮やかなもの。「わたし」を構成するすべてがそこにある。家族に関するものが圧倒的に多い、そのなかで近寄るのを避けている棚がある。『背中の記憶』を読み思ったのは、その本棚のこと。

背中の記憶

背中の記憶


うつくしい人だった。凛とした佇まい、柔らかく強い声。特技は洋裁、趣味は着物、手紙、読書。顔の造作が取り立ててうつくしかったわけではない。身に纏うオーラの華やかさに圧倒され、誰もが「美人だなあ」と錯覚するのだった。きれいに巻かれた髪の毛、艶やかな口紅。彼女の部屋着姿、或いは化粧をしていない顔を見たことがなかった。爪の先から頭のてっぺんまで「女」。それがわたしの祖母だった。


その「女」が崩れたのは今から6年前、わたしが大学4年生のとき。末期癌だった。

中学三年の二月、大好きだった祖母をわたしは亡くした。それは突然の、そしてわたしにとって初めての喪失だった。末期の膵臓癌で入院してから半年、六十三歳という若さで、腕の中から乱暴にもぎ取られるように、彼女はわたしから奪い去られた。『背中の記憶』11P


表題作「背中の記憶」で語られるのは語り手の祖母のこと。女性らしく気の強い人で、向こう見ずで負けん気の強い性格である「祖母」に、彼女――私の祖母――が重なる。思い出したくない記憶、立ち寄らない本棚。


就職活動を終えたわたしが過ごした場所。それは卒業旅行で訪れた異国の地ではなく千葉のホスピスだった。駅からバスで30分近くの場所にある、畑と山に囲まれた清潔な建物。そこでわたしは祖母との生活を始めた。「脚をさすって頂戴」「水が飲みたいの」「体を起こして頂戴」「肩を揉んで」「リップクリームを塗って」「スキンケアをして」「ご飯を食べさせて」「部屋が暑いわ」主張とお願いと。離れて住んでいたこともあり、祖母と孫という付き合いがあまりなかった私たちは、皮肉なことに彼女の病気がきっかけで二人の時間を過ごすようになった。祖母と孫、という関係とはまた違う、不思議な関係。肉体労働は嫌いではなかったし、相手がじぶんの好きな人だからこそ辛くはなかった。最初は。

私はまだ、彼女にしてもらっていないことがたくさんある。私はまだ、彼女にしてあげていないことが山ほどある。着付けだって習ってないし、お裁縫だって習ってない。恋人に会わせてもいなければ、私の運転する車に乗せてもいない。それなのに、彼女は「こんなに痛いなら死んだほうがましだわ」なんて言う。私たちは、祖母と孫という関係を、築ききれていないのに。泣きながら「ありがとう」なんて言う。私はただ、会いたくてそこにいるだけなのに。【当時の日記より抜粋】


 「死んだほうがまし」。その言葉が聞けるだけで、まだ良かったのだ。ホスピスに入ってから数週間、彼女はわたしがわからなくなった。亡くなった人の名前でわたしを呼ぶ。愛犬がそこにいるから窓を開けてくれと言う。その犬は、何ヶ月か前に死んでしまったのに。自分が自分として認識されないのが、これほど辛いとは思わなかった。変わってしまった彼女の姿を見ることが、これほど辛いなんて思ってもみなかった。乾いた肌、痩せこけた手足、紅をささなくなった唇から漏れる弱弱しい声。つらいつらいつらい。泣きたいときに泣けやしない、叫びたいときに叫べやしない。そこでわたしが選んだのは逃げることだった。病室の片隅、椅子に座りイヤフォンをさし本を開く。あのとき何を聴いていたのか。何を読んでいたのか。全くおぼえちゃいない。

祖母の死後、送った手紙は病院から、わたしの手元に戻ってきた。そこには、祖母の回復を信じて記された、無邪気だからこそよけいに残酷に響く、浮ついた文章が丸い文字で書き綴られていた。その手紙を、祖母はどんな気持で読んだのだろうか。『背中の記憶』25P


 変わり果てた祖母の姿。そこから逃げ出したくなる気持ち。あとから直面する、逃げた自分という事実。誰かに懺悔したい、でもどこにも吐露できない気持ち。文字を追いかけるうち、図書室の奥、閉じ込めていたものが昇華されていくのがわかった。


毎日思い出しているのに、祖母の姿はしだいに薄れはじめた。最初は祖母の言葉の細部や着ていた服、髪型や眼鏡の模様などがぼんやりしてきて、そのうち動いている彼女の姿をはっきりと頭で再現できなくなった。彼女の声が聞こえても、わたしの視界に姿はなく、布団の中で物語を聞いたときに眺めていた天井の豆電球や、縁側の磨りガラスの模様しか浮かんでこない。『背中の記憶』26P


 目を閉じれば浮かぶ姿、聞こえる声。資生堂のファンデーションの粉っぽいにおい。リバティプリントのワンピース。真っ赤な口紅、歯並びの綺麗な歯。彼女の存在がぱっと色濃く香る瞬間。静かで強く、親密で個人的な体験。薄れるスピードが遅いのは、最後の日をともに過ごしたから?


あなたの卒業式に出席したい、
庭の薔薇の手入れをしたい、
あなたのボーイフレンドに会いたい、
動物園にパンダを見に行きたい。
神戸の家を引き払って、東京にマンションを買うわ。
そうしたら、一緒に遊びに行きましょうね。


             なにひとつ叶えてあげられなくて、ごめんね。



 父、母、弟、叔父、おさないころの友人たち。物語の語り手とその家族との個人的な体験が綴られた本書。描かれているのは自分ではない誰かの記憶なのに、なぜか自分の記憶が蘇る不思議。誰もが持っている「家族」という名前の物語。その物語から破り捨てたはずのページばかりが引っ張り出されてゆく。閉じ込めるしかなかった、あのときの気持ちが文字になり目の前で像を結ぶ。


 読むという行為に内包された赦しを乞う(あるいは幸せを祈る)行為。対話ではなく、信仰としての読書。文字の向こう、図書室の隅に重なる記憶。そこに降り積もった埃をそっと払いたくてわたしはこの本を手に取るのかもしれない。(歩)