その46 たまにはマクラなしで紹介したい本もある。

橋

 妙な小説である。3年ほど前に起きた秋田の連続児童殺害と渋谷のエリートバラバラ殺人、有名な二つの事件を扱っているのに、殺害のシーンはおろか、動機にすら触れていない。そんなものはどうでもいいと言わんばかりだ。ただ、冒頭には意味深な文章が。「一人の少女が大人になった。しかしその少女は、自分自身の頼りなさをどのようにも自覚していなかった」

 続けて第一章では橋にいたるシーンが綴られる。ひとりの寂しい少女が、怒りをぶつけるように、川に長靴と傘を投げ捨てた。その川を下ったところで、同じように寂しい少女が、なにも考えられないままに、迎えにきた車で連れて行かれた。あまりに過剰な娘と、あまりに過小な娘。しかし、二人はともに不安と不満に満たされている。

 彼女たちの母親は、雪深い地方で育った同級生だった。スナックで働いていた活発な子は、ダンプ運転手と結婚し、運送屋の女房となる。一方で信用金庫に勤める地味な子はサラリーマンと籍を入れたが、夫は独立を果たす。ともに会社は高度成長の波に乗り、生活は次第に豊かになっていくのだが、土地に根を下ろした暮らしの中で生まれ育った二人の娘がなぜ「頼りなさ」を覚えなくてはならなかったのか。そして最後に破綻を迎えなくてはならなかったのか。川を流れる水とは違って、橋本治らしい粘りある文章で、二人の母と二人の娘の人生が綴られる。

 なにかが、静かに起ころうとしていた。その激動の中で、十九と十八になろうとする娘二人のありようなど、雪解けの水を湛えて流れ下る大河に浮かぶ、小さな笹舟のようなものだった。流れを下る前に、流れに翻弄されて見えなくなる。

 作者は、犯人も、犯人の母親も断罪しない。四つの人生をじっと見つめ、その奥底にある時代のうねりを見ようとする。この物語の主人公は戦後という時間であり、いまだ「頼りなさ」を自覚できないのは日本そのものであろう。ジャーナリズムの言葉では届かないところへ読者を連れて行く、真の小説をおすすめしたい。(藪)