その47 完璧なものから離れたい時に読む本。

 日歯医者で治療を待っていたら、ラジオにのってうっすらとベン・フォールズの歌が流れてきた。その歯科医院は、隙のない最新の設備がそろっているのに、新しい歯医者にありがちなハワイアンやボサノヴァ系の有線ではなく、いつもJ-WAVEがかかっているので、そこがちょっとほっとさせる。流れてきたベン・フォールズの新曲は、はじめて聴いたのにどこかで聴いたような印象の曲だった。あいかわらす聴く人の感情を煽るような旋律だ、などと思いながらぼんやり聴いているうち、ドラマ「ロング・バケーション」で使われていた「フィロソフィー」という曲が好きだったこととか、いろんな記憶がよみがえってきた。

 この人と四六時中つきあったらしんどそうだな、という人がいるのと同じように、100%ではないけれど魅力的な本や音楽がある。で、私にとってベン・フォールズの歌はそんな、たまに猛烈に会いたくなるロマンチックな友人のような存在である。彼がバンドを組んでいたころのデビューアルバムは、家でじっくり聴くことはほとんど無いけど、高1の頃に買ってからずっと捨てずに持っている。そして、たまに店で「アンダーグラウンド」なんかがかかると無性に嬉しい。

ベン・フォールズ・ファイヴ

ベン・フォールズ・ファイヴ

 たぶん、私がベン・フォールズの歌をめったにしか聴かないのは、歌や演奏がヘタだからだと思う。じゃあお前はもっと上手くできるのかよ、という突っ込みが聞こえてきそうだが、べつに音楽ができなくたって、彼よりもっと澄んだ声で歌えて、ピアノをきめ細かく弾ける人がいることくらいは私にだってわかる。

 おなじような例を本で探すと、私にとっては松浦弥太郎氏のエッセイがそんな「ねむたいけど好きな友人」である。彼の文体は私には軽すぎて、しばしば読んでいてイラっとくる。けれどその柔らかくて荒びきな表現の中に、胸に刺さる強烈な味わいがあると思う。

くちぶえサンドイッチ 松浦弥太郎随筆集 (集英社文庫)

くちぶえサンドイッチ 松浦弥太郎随筆集 (集英社文庫)

 この『くちぶえサンドイッチ』という本はファッション誌などに掲載された随筆をまとめたもので、自伝的なものから、読んで面白かった本の紹介、著者の幼い娘の視点をとおして書いた日々の記録などが収録されており、とにかく、むせかえるほどの生々しい感情、思考のかけらがぎっしり詰まっている。

「今日は青空です。
 絵本にありがとう」(「ぼくはいろんな話を知りたい」)

 はい。言えますか? この言葉。私が著者だったら没だと思う。こんなふうに突っ込みどころを探すとキリがない一冊ではありながら、私には、この本はずっと捨てられない本だという確信がある。理由のひとつは、知人にすすめられて買った思い出の本だから。ベン・フォールズを好きだというのはちょっと恥ずかしいけど、ベン・フォールズを好きだという人は好きだ。この本も同じ理由から、薦めている人のことを思うとわけもなく眩しい気持になれる。それともうひとつ具体的な理由もあって、それは牛乳を温めないカフェオレの作り方を、私に教えてくれた本だからだ。

「自分用のマグカップにコーヒーを半分ちょっと注ぎ、そこに冷蔵庫から取り出した牛乳をドボドボと。シュガーは入れない。新聞はもう来てるかな」
(「いつもの眩しい朝」)

 この方法、ぜひ一度やってみて下さい。冷たい牛乳が熱いコーヒーに触れた瞬間、牛乳の甘みが開いて温めた牛乳を注いだ時よりずっと甘く感じる。私は土曜の朝、濃いめにいれたコーヒーを半分のんだあと、ときどきこの松浦カフェオレを楽しんでいい気になっている。

 この、乱暴に作るカフェオレの味、それは松浦さんの文章の雰囲気によく似ていると思うし、冒頭に書いたベン・フォールズの歌声にも私は同じ味を感じる。これ、卓越性とは別のところにも世の中の素晴らしさというのは存在する、という、誰もそんなことを大声でいわない真実の味だと思うのです。

 蛇足ながら、どうしてもこの『くちぶえサンドイッチ』を語る上で外せないことをもうひとつだけ。この本の真ん中あたりに収録されている「ぼくをつくる旅先の出会い」という随筆が、私はとても好きです。20歳のころ、ひとり旅をしていた松浦さんがふらっと入ったアメリカのストリップバーで経験したキスの話。読み終えた後も、自分が体験したことのように思い出してしまう不思議な一篇です。(波)