その42 頭を悪くするための本。

 草に引っ越して圧倒されたのは、観光客の多さだ。僕だって江戸情緒とか大正モダンを求めて移り住んだクチだから、偉そうなことを言う資格がないのは重々承知だけど、せっかくの土日にも浅草から出来るだけ離れようという妙な事態になっている。
 日本人も多いが外国人も多い。浅草と箱根と京都を回って、お土産に日本刀のおもちゃと富士山とか芸者の絵柄の入ったキモノを買って、大和魂をわかった気になるなよと思うけど、自分がロンドンに行ったときのことを思い出せば、大英博物館に行ってロンドン橋を渡ってパブでビールを飲んで…といった具合だからグウの音も出ない。
 考えてみると、もしミシマやタニザキを読んでいる外国人がいたら、なかなかやるなと感心するだろうが、ただの職業的な研究者もしくはインテリかもしれない。しかし池波正太郎藤沢周平を面白がって読んでいる外国人に出会ったら、僕は心から「ようこそ日本へ!」と挨拶できるだろう。翻訳されてないと思うけど。


 その意味で我々は感謝しなければならない。イギリスの誇る天才執事・ジーヴスの活躍を日本語で楽しめるのだから。

比類なきジーヴス (ウッドハウス・コレクション)

比類なきジーヴス (ウッドハウス・コレクション)

 ジーヴスが仕えるのは、若きご主人・バーディである。落語に出てくる若旦那のような存在で、働くなんて言葉は当然辞書になく、頭にあるのはスポーツ=賭け事ばかり、お小遣いをもらっている伯母さんには頭が上がらない。そんなバーディが巻き込まれるトラブル、といっても病的に惚れっぽい友人の恋愛事件や、洒落の効きすぎたイタズラに励む従兄弟たちの後始末に駆り出されるのが我らがジーヴスだ。
 ただの優秀な執事かと思いきや、妙なこだわりがある。たとえばご主人・バーディの服装には一家言どころか二家言も三家言もあるらしい。

「シャツのことだが、僕の注文した藤紫色のはもう届いたかな」
「はい。ご主人様。わたくしが送り返してございます」
「送り返した?」
「はい。ご主人様にはお似合いでございません」

 送り返すくらいならまだいいのだが、ときには過激な手段も辞さない。

ジーヴス」僕は言った。「あのスパッツだが」
「はい、ご主人様」
「君は本当にあれが嫌いか?」
「激しく嫌悪いたしております、ご主人様」
「時間がたてば君の考えも変わると思わないか」
「いいえ、ご主人様」
「よしわかった。結構。これ以上はなしだ。燃やしてくれ」
「有難うございます、ご主人様。今朝方朝食前にもう焼却いたしました。おとなしい灰色の方がずっとお似合いでございます。有難うございます、ご主人様」

 面白いところを引用しはじめたら止まらなくなりそうだ。どうも日本人は真面目になるばかりで、次第に煮詰まっているように感じるのだけど、たまには昼間っからビールでも飲みながら迷コンビのコメディを楽しむ余裕があってもいいのではないかと思うのだ(注:明日サボることを宣言しているわけではありません)。勝間和代風に言えば「馬鹿になる力」「頭を悪くする方法」たとえば完璧そうなジーヴスにも弱点はあるもので、どうも自分の顔には自信があるのかあるいは不安の裏返しなのか。

「…わたくしはある朝たまたまあの息子の頭にげんこつをくれてやろうと追いかけておりました」
「やるな、ジーヴス」
「はい、あれは遠慮なくものを言う子で、わたくしの容貌について侮辱的な発言をいたしましたもので」
「で、おまえの顔をなんて言ったんだ」
「記憶にございません」やや厳粛にジーヴスは言った。「いずれにせよそれは侮辱的な発言でございました。…」

 大衆娯楽小説というのはその国の文化に深く根ざしたもの、いわば内輪話である。別に内輪だから悪いといっているのではないし、外国人が読んでいるから偉いというものではなく、ただ一つの文化圏で自給自足的に消費されるものだ。ところが英国文化の素養もない僕らにこれだけ苦笑いさせてしまうのだから、落ちぶれたとはいえ大英帝国の威光恐るべしである。そして、イングリッシュ・ユーモアの神髄が次の一言。

「ご主人様、何でございましょう?」
ジーヴス、起こしてすまない。だが、ありとあらゆる困ったことが起きているんだ」
「眠ってはおりませんでした。仕事の後は有用な本を読むのがわたくしの習慣でございます」

 有用な本………。(藪)