その43 フレッシュネスバーガーで読んだ本。

 日、私の住んでいる町のフレッシュネスバーガーが閉店した。ゆうべ電車から降りて、家に帰って部屋の片付けに巻き込まれる前に読んでしまいたい本があったので、駅のすぐ脇にある店になにげなく入ったら、入口のドアに「明日で閉店します」という趣旨の貼り紙があったのだ。

 その店は一度しか使ったことがなかっただけに、私はそのとき、自分の持っている本と閉店するフレッシュネスバーガーの偶然の結びつきを感じないではいられなかった。

 昨日私が持っていた本、それはリチャード・ブローティガンの新刊『エドナ・ウェブスターへの贈り物』。フレッシュネスの店内で熱いチーズバーガーを食べたり、冷たいレモン&クランベリーソーダを飲んだりする行為と、リチャード・ブローティガンの書いた文章を読むことは同じではなかろうか。窓際の席に座って、本から視線を上げると目に入るドア硝子の貼り紙を眺めながら、私はそんなことを思った。

「そもそもの最初から、ブローティガンは読者一人一人にとって個人的になつかしく、いきなりなつかしいなどというその破天荒な事態故につねに斬新であり続けるということ」

 これは『エドナ・ウェブスターへの贈り物』の巻末に収録されている江國香織さんの解説文の言葉。この「いきなりなつかしい」という矛盾した感覚が、あのハンバーガー屋とブローティガンに共通する魅力ではないかという気がした。私は本場アメリカのハンバーガーなんか食べたこともないし、サンフランシスコで詩の朗読会に参加したこともない。でも、両者の味は何かが喪失される前の時間があったことを思い出させる。多少大げさに言えば、かつて何かがそこにあって、自分が遠く離れてしまったことに気づくとき「おいしいなあ」とか「面白いな、これ」と感じる。そんな気がするのです。

 大学時代の1年間、私は池袋グリーン大通りフレッシュネスバーガーで働いていた。だから、今いったなつかしさは、個人的な思い出によるこじつけかもしれない。私がブローティガンを知ったのは、そこでのアルバイトを辞めて、新聞社で働きはじめてからだ。日曜版の書評のすみに「西瓜糖の日々、復刊」と書いてある記事を見つけて、ブローティガンに興味をもった。

 一般的にいって、フレッシュネスバーガーのおいしさの奥に「なつかしさ」を感じるかどうかは怪しいにしても、少なくとも、むかし一緒に働いていた人たちにはわかってもらえる気がする。あの頃のスタッフにもう一度会う機会があったら、私はブローティガンをプレゼントしたい。朝、店の鍵を開けて、バンダナを巻いて、ボテトを揚げる油を入れ替え、ガスレンジに火を点け、有線のスイッチを入れてシャッターを上げ、ランチに備えてグレープフルーツジュースを絞ったことのある人ならきっと、ブローティガンの詩を読んだとき泣きたくなる一節を見つけられるように思う。

フレッシュネスバーガー 代々木店

食べログ フレッシュネスバーガー 代々木店

 リチャード・ブローティガンの代表作といったら『アメリカの鱒釣り』(新潮文庫)『芝生の復讐』(同)『西瓜糖の日々』(河出文庫)の3つで十分だと思っている人も、ぜひこの「新刊」を手にとってもらえたら嬉しい。「未発表作品集」なんていったらマニア向けの、未発表であることが作品の質よりも優先されている代物のような印象を与えるかもしれないけれど、この本はけっしてそういう本ではない。間違いなくブローティガンの代表作のひとつだ。断言。
 その証拠の代わりに、収録されている詩のなかから、特に私が惹き付けられたものをのせておきます。

きみよりぼくが先に死んだら


  きみが死から
  目覚める
  とき、
  ぼくの腕に
  抱かれていることを知るだろう、
  そして
  ぼくは
  きみにキスをするだろう、
  そして
  ぼく
  は 泣いているだろう。
 

 死んだ作家の新刊が読める、というのはつくづく、読者の応援の賜物だと思うこの頃。この本を新しいきっかけにして、まだ読んだことのない人にブローティガンが「発見」されることを祈ります。(波)