その33 「海外旅行」という流行を見つめるための本。

 の2年間、狂ったように海外へ出かけた。ソウル、パリ、香港、北京、サイゴンプラハ、大連…行き先はメチャクチャだけど、旅のスタイルは同じだ。目的地は大きな都市、いつも一人旅、航空券や宿の予約は自分の手で、出発前に関連する文学作品や資料を徹底的に読み込む。我ながら頑なである。
 旅のやり方には、その人の性格が出るものだ。パックツアーにすべてお任せする人もいるだろうし、高級ホテルに泊まるのを楽しみにする人もいる。仲のいい友達と出かける人もいるだろうし、ゆっくりリゾートを満喫する人もいる。
 とはいえ多くの旅行者にとって、まず頼りになるのはガイドブックだろう。この本は、トップシェアを占める「地球の歩き方」の物語だ。それは若者たちの海外旅行史でもあった。

「地球の歩き方」の歩き方

「地球の歩き方」の歩き方

 就職情報誌を発行していたダイヤモンド・ビッグ社は、1971年、内定を得た学生向けの企画として、企業入社前の海外研修ツアーを立ち上げた。そこから分かれる形で、社会人になる前の学生に、アメリカやヨーロッパへ自由旅行させようという企画が生まれる。たとえばロンドンに連れて行った学生に簡単なオリエンテーションを施して放り出し、一か月後にパリで再集合するという大胆なものだった。
 自由旅行の参加に当たって、説明会を開いていたビッグ社は、参加者の体験談や旅のノウハウ集を作りはじめる。それの進化したものが「地球の歩き方」になった。
 後に市販された「歩き方」は、海外旅行の一般化とともにカバーエリアとシェアを拡大していく。

 「地球の歩き方」は「海外への個人旅行」という流行を作った。まさに時代を変えたシリーズといって良いだろう。たとえば海外旅行に出かけるには、大手の旅行代理店を通してツアーを予約するのが当たり前だった時代に、自分でパスポートを取って出かけるよう薦めたのだ。創刊メンバーの一人は書店に並んだ「歩き方」を見たJTBの社員に「これって旅行会社不要論ですよね」と言われたそうだ。
 また、社会主義バリバリで、怖くて誰も入れなかった頃の中国への自由旅行を提案したのも「歩き方」だった。本の冒頭がいい。

 この国が今、ボクたちの前に大きく門戸を開いた。そう、ついに中国自由旅行ができるようになったんだ。まだキミは中国の自由旅行はムリで、団体ツアーで行くことしかできないんじゃないかと思っているかもしれない。でも現実に、北京の天安門広場万里の長城で、アメリカやヨーロッパからのバック・パッカーが金髪を風になびかせながら歩いている。こんな姿をキミは想像できるかい?

 出版物に人を動かし、世の中を変える、そういったパワーがあったのだ。その原動力になったのは、「歩き方」を読んで出かけた旅人たちの、自分も協力したい、参加したいという思いだった。読者投稿で支えた者もいれば、ライターとして育っていった者もいた。今の雑誌や書籍の多くは、編集者が作って読者が読むだけのものになっているが、「歩き方」はコミュニティ的な、みんなで作り上げるものだったのだ。
 一方で、出版物は時代の波をかぶる。ある意味バックパッカー向けの本として大ざっぱなところの許されていた「歩き方」もシェアの拡大と海外旅行の一般化で、その緩さが批判を浴びたりする。

 旅の失敗が土産話として語られる時代から、絶対に失敗してはいけない時代になってきて、ガイドブックにもより正確な旅行情報を求められるようになったと思います。

 後書きにある通り、「地球の歩き方」は単なる海外旅行のガイドブックに留まらず、ある時代の精神を具現化したメディア(人と人をつなぐもの)だったのだ。ただ、メディアは紙媒体に留まる必要はない。メールマガジン2ちゃんねるもmixiも流行のtwitterも立派なメディアである。ITの波にもまれて情報雑誌だった「ぴあ」の発行元が違う道を歩んでいったように、「歩き方」にも大きな変化が迫られるだろう。
 海外旅行のガイドをi−phoneで見るようになるのもそう遠い日ではない?(藪)


【追記】
 「ヤトミックカフェ」店主の矢透マスターと、読書についての往復書簡を交わしています。
 お時間があれば、あわせてご覧ください。
 http://www.yatomiccafe.com/