その34 腹痛に体を許してしまった人を好きになる本。

 から、恋愛相手とは別に、同性にターゲットがいる。その人のしゃべりかたを真似したくなったり、履いているスニーカーの別の色はないかと探してみたり、環境が変わって滅多に会わなくなると、すぐさまその人が昔持っていた財布とそっくり同じものを買ってしまったりするような相手である。

 それは、団地の先輩であったり部活の同輩であったり木村拓哉だったり伊勢谷友介だったりした。自分の内面に不安が高まるほど、憧れの対象がきらびやかになる。いまの高校生だったら、芸人あたりに、その相手をみつけたりするのだろうか。生後28年たったいまでも、わたしにはいまだにそんな相手がいる。真似したからといってそんなふうになれないことは知り抜いていても、なりたいと思った心の状態ばかりはどうしようもない。

 いまあこがれている男の典型はサケロック星野源である。ふかきょんが出ていたドラマ『未来講師めぐる』でエロビデオという名の塾講師役をやっていた人といえば通じる人もいるかも知れない。松尾スズキ氏の劇団「大人計画」に所属する役者でありながら、歌なしバンド・サケロックのリーダー兼ギター担当をしている人。見た目も愛らしく、音楽はおおらかでありながら抑制が効いていて格好いい。私と同じ1981年生まれであるということも、同じ時間を与えられてもこんな風になるひともいるのね…と羨望とあきらめの入り交じった感情をかきたてる。

YUTA

YUTA

 その星野源(敬称略)が、エッセイ集を出した。許せない。いや、許したのは出版社なのだが、そんなの面白いに決まってるじゃないですか。格好いいに決まってるじゃないですか。もういいよ。おなかいっぱいだよ。知るかよ…となかば投げやりな気持で渋谷タワーレコードのレジにあった本を一冊購入した。そして、やはり打ちのめされた。期待したより面白かったのである。

そして生活はつづく

そして生活はつづく

 かっこいい人の弱い部分を知ると、少し安心したりする。しかしこの本はそういう隙をあたえない所がつらい。つまり、弱い部分そのものが表現であり、作品になっている。一見美しいものの裏側をのぞきみたいという安手のゴシップ根性とは逆のベクトルが大人心を揺さぶる。象徴的なのは、学生時代のエピソードで、ちょっと長いけど引用します。

 吾輩はばかである。
 名前は、あるけど忘れた。
 
 小学生のころ、校庭から校舎の屋上まで石を投げられるかという遊びを友達とやっていたときに、ちょっと大きめの石を選んで投げたら、腕力が足りずに屋上に届かないまま最上階の窓ガラスをガシャーンと突き破って生徒がたくさんいる教室に投石してしまい、怪我人は出なかったが大騒ぎを起こしたのは吾輩である。
 
 高校生のときに晩ご飯のおつかいを頼まれ、スーパーで買い物をしてお会計を済ませたがレジ袋に入れ替えるのを忘れ、スーパーの買い物カゴを持ったままで帰宅してしまい、親に「あんたばかじゃないの」と爆笑されたことがあるのも吾輩だ。


 あと体育でマラソンの授業中に急におなかが痛くなって、先生に許可を得てトイレに行ったのはいいが、下駄箱のところで我慢できずにもらしてしまい、白い体操着のズボンからサーッとうんちが出てきたのでパニックになり、どうしたらいいかわからず手ですくって壁にバーンと投げたら、校舎の壁に茶色いナイキのマークがバーンとでき、それ以来、学校の中では「うんこナイキの謎」として都市伝説化していたのだが、それを卒業まで「ぼくじゃない」と知らんぷりしていたのも、吾輩である。(「ばかはつづく」)

 最後のは下ネタだったけど、爽快感があふれている。すべての常識を忘れたくなる純粋な心の動きがまぶしくてたまらない。こんな風に素のままの心を解き放って生きていけたらいいなと、じくじくした憧れが沸いてくる。でも、冷たいまなざしの方に軍配を上げてこれまで生きてきた。憧れの人はいつも、わたしの心の生贄である。(波)

☆上のエピソードは、ほぼ日刊イトイ新聞の「はらよわ男の座談会」にも出てきます。面白いので、こちらもどうぞ。
http://www.1101.com/harayowa/index.html