その20 64回目の夏に読んでおきたい本。

 から病気のデパートといっていいくらい体が弱くて、特に夏になると胃は重くなるし頭はボーッとするし勤労意欲は失せるし(これは年中か)、ふとググってみるとどうやら自律神経失調症というのがあるらしい。ついに自分も現代人の仲間入りかとうれしくなって、さっそくmixiのコミュニティに参加してみた。中に「今日の体調を報告する」みたいなトピックスがあってそれをのぞくと、「何を食べても吐いてしまう」とか「1日1時間しか眠れない」とか、皆さん大変なようで…自分なんてまだまだだなとずいぶん気が楽になった次第です。(あれ?)
 比べたり、相対化することで、ものの見方が変わるのはよくあること。敗戦から64回目の夏、日本人にとっての戦争体験を、同盟国ドイツと比較してみようと思い立ったのだ。敗戦という非常事態にこそ、国や民族の本質が現れるはずだから。

ベルリン終戦日記―ある女性の記録

ベルリン終戦日記―ある女性の記録

 この日記は、1945年4月20日から始まる。同年1月から始まったソ連軍の大攻勢で東部戦線のドイツ軍は壊滅、西部から迫る米英軍に先駆けてすでにベルリンを包囲しており、集中砲撃が始まって4日たつ。奇しくもその日はヒトラーの誕生日だ。「何とも奇妙な時代だ。歴史を、後になって歌われたり物語として語られたりする事柄を、じかに体験しているのだから。」
 ソ連にとってドイツはただの敵ではなかった。スターリングラードに至るまで侵攻の途中で、ドイツ軍は暴虐と略奪の限りを尽くした。ソ連軍にとっては、報復の絶好の機会である。すでに東部戦線では兵隊や住民はみな殺し、女性は悲惨な性暴力にさらされていた。当然、ベルリン陥落に当たっても同じことが繰り返され、日記の著者である34歳の女性ジャーナリスト(名前は明かされない)は、赤軍兵士に襲われる。
 

それから、くそったれ! と大声で叫んで、覚悟を決めた。
 はっきりしていることだが、強い狼を連れてきて、他の狼どもが私に近づけないようにするしかない。将校、階級は高ければ高いほどいい、司令官、将軍、手の届くものであれば何でもいい。

 実際この女性はアナトールという中尉と関係を結んで、暴力の氾濫と絶望的な食糧難にさらされたベルリンで命を守ろうとする。日本人の僕らは当事者でないただの観客に過ぎないから、たくましい女性が生き抜くための、感動的な冒険物語とも読めるだろう。
 しかしドイツ人(特に男性)にとってみれば、敵に身を売った売女の話であり、それは女性を守れなかった負い目の裏返しだろうが、とても読める話ではないだろう。もっと酷い目にあったドイツ女性から見れば、うまくやりやがってと嫉妬を受けるかもしれない。一方のソ連人にしてみたら、ドイツ軍のしたことを考えれば、ただの仕返しだと思うだろう。ホロコーストに晒されたユダヤ人なら別の感想を持つのだろうか。
 歴史的な事実とは、かように居心地の悪いものなのだ。
 翻って僕らの日本では、ちょっと前までは「軍国日本は過去のもの、今の自分たちは悪くない」という左派的な言葉が、現在は「戦争に至るまでの道筋に誤りはなかった」という右派的な物言いが力を持っている。どちらも同じ穴の狢(ちょうどヒトラースターリンのように)で、自分だけが絶対的な正義でありたいと思う子供の言葉である。成熟というのは、居心地の悪さにいかに耐えられるかということだ。

 こう書いてしまうと、「敗戦日記」がただの悲惨な話、あるいは小難しい本に思えるかもしれないが、文章はジャーナリストらしい透徹した観察眼とユーモアに支えられている。一つのエピソードを紹介しておこう。深夜十二時をまわってやってきた庇護者のアナトール中尉に遠慮して、部屋に残っていたほかのソ連兵は帰っていった。ちょっとした誤解が生まれた。

 私が彼に向かって言った。「あんたって熊だわ」(略)
 それに対してアナトールは私が言葉を取り違えていると考えて、まるで子供に教え諭すように根気よく訂正した。「違う違う、間違っている。<メドヴェージ(熊)>は動物だ。森に棲む茶色い動物、大きくて唸るんだ。僕はでもチェロヴェーク、人間だよ」

(藪)