その19 彼について本が教えてくれた二三の事柄。

の本棚を眺めるのが好きだ。口の軽い本たちは、主のことをぺらぺらと喋りだす。表に置いてある本は、その人の美意識、その裏に隠された本は、その人の本音。知らなかったあの人が、少しだけ近くなる瞬間。誰かと仲良くなりたいな、と思ったら本棚を見ればいい。1時間話をするよりも、5分間本棚を見るほうがその人のふかいところに近づける場合もある。

本棚を前にすると、おしゃべりな本たちを撫でまわしたくなる。1冊、1冊の本と、主について語り明かしたいと思う。ささやかな欲望。でも私の思いどおりになることは滅多にない。「そんなところに突っ立ってないで」とかなんとか本棚の前から追い立てられ、時間潰しの会話に付き合わされるのが関の山。恨めしそうに指を銜えて本棚を振り返るも、相手にその気持ちが通じることは無い。

 書店で本を探すときも、その棚を作った人をあれこれ考えるのが愉しい。自分にぴったりの棚を持っている書店を一軒知ることは、人生を少し楽しく過ごす秘訣のひとつ。自分専用コンシェルジュがいる、なんて贅沢! いかに本棚が好きか、つらつらと書き連ねてしまいましたが、そんなわたしのためにあるような本がこちら。

本棚三昧

本棚三昧

こんな本もある。
本棚

本棚

表紙には本棚の写真。この2冊、似ているようで全然違う。前者はわたしのような本棚狂いが作ったもの。後者は本棚好きのために作られたもの(たぶんね)。「本棚三昧」は一言で喩えるなら「本棚写真集」。インタビューも解説もなく、ひたすら本棚の写真が続く。解説がない分、余白がたっぷり。対する『本棚』は本棚を背にした作家近影からスタート→作家と本にまつわるインタビュー→本棚の写真、という構成。本棚を撮影したはいいけど、肝心の本のタイトルが見えないカットが多くてとっても残念だった。
きっとわたし、余白が好きなんだと思う。目で見えるもの、耳で聞くもの、そしてそこから想起されるイメージ。想像が遊べる余白こそが小説の持つ一番の魅力だと思っているのだけれど(『黄色い本』はそれを視覚化している)、本棚を見て感じる高揚感もそれに似ているなあ。
本棚を眺めることは、その人の生活を覗き見することに近い。どんな作家、どんなテーマが好きなのか。装丁で本を選ぶのか、作家名で選ぶのか。雑然と並んだ本たちが発する声は細かな粒子となり、朧げな像を結ぶ。わたしの知らないあなたが見えてくる。
これまでに何度「本棚を見せてあげるから部屋においでよ」という台詞に騙されたことか。これからはこの本を開いて欲求を満たすことにしよう。誘われれば懲りずについていってしまうわたしもどうかしているのだけれど。(歩)