その21 スピリチュアルで暑さを乗り切る。

 靴が嫌いだ。夏に履いている人はみんな嫌いなはずなのに、みんな我慢しているからというそれだけの理由で履いている感じが嫌だ。なかにはスーツに似合うプラダかどっかのスニーカーを履いてお茶を濁していたり、靴の流通センターで売っていそうな超地味な運動靴で革蒸れの難から逃れている人もいるが、そういう対処療法的な生き方が嫌いである。いっそ真菌に責め尽くされて再起不能になって殉死し、亡霊となってスーツと革靴を生んだサラリーマン社会を呪い殺したいと思ったりもするのだが、実際にはけっこう水虫薬が効いてなんとか一夏乗り切れてしまったりするからやるせない。かと思えば、会社には毎日くるぶしまである黒いコンバットブーツを履いてくる先輩がいたりする。そういう豪傑を知るとつくづく世界は広く、自分は小さいなと思う。

 何かイヤなことを見つけたとき、なんとかしてそれを改善しようとする人と、それに耐える方法を探そうとする人がいるとすれば、私はどうも後者のようだ。外界を変える前に、内面でなんとかしてみたい。そんな私のバイブルともいえるのがこの本である。

新版 禅とは何か (角川ソフィア文庫)

新版 禅とは何か (角川ソフィア文庫)

 このタイトルの答えは本の真ん中あたりに書いてある。

「禅というのは、すなわち神秘的経験ということである」

 この「神秘的経験」というのは、スターを取って無敵状態のスーパーマリオみたいなものだと思う。そしてこの状態になれば、暑さも、足のかゆみもみんな忘れてしまえるのだろう。

「人間たるわれらにとって、そこに捕捉し得らるる一物がある。それを一つ直覚しなければならぬ。それは理屈ではない、分別ではない、概念ではない、直覚的のものである。これはその中に自分を没入することによって穫られる。そのものの中にはいって、そのものになりきった時に、初めてそのものの真面目がわかるということになる」

 でも、この本を私が好きなのは、そういう俗世の悩みから超越した偉人になることで満足してはいけない、自分ひとり神秘的経験をしたところでつまらない、と繰り返し書いてあるところだ。

「宗教というものが、ただある特殊の生活をする人間だけを救うということを、その目的としているものならば、それはそれでもよいことである、けれども、今宗教というものはすべてのものをやはり救わなければならぬのである。救わなければ宗教にはならぬのである。また、そういうものでなければわれわれの心が安まらぬ」

「宗教だからといって、ただ個人の安心にのみ資するべきではなかろう。そんなことだけに安んじては、本当の菩薩行はできぬ。自分はこれでいいというところから、街頭に出て来なければならぬ。そこによほど細心の注意が必要だろうと思う」

 こう、口でいってるだけではなくして、実際に鎌倉の禅寺に弟子入りして修行を積んだあと、渡米して英語で禅の普及につとめたというのだから、偉い人である。こういう人の書いた本を読むとちょっとだけ心が涼しくなる気がする。

 夏、クーラー生活に飽きたら、クールな禅書を片手に窓を開け放ってみてはどうでしょう。と、なぜかいつもFMラジオのDJ風になってしまうのですが、そんな今日のオススメの一枚は、カームの和風アフリカ音楽「シャドウ・オブ・ジ・アース」。蝉の声との相性も抜群です。(波)

SHADOW OF THE EARTH

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