その18 自分のない人から、自分探しの秘訣を学ぶ。

 もう「自分探し」という言葉自体は流行らなくなったけれど、20代後半という年齢の私の回りにはいまだに、同様のテーマに悩んでいる友人がいる。「いまの自分、これでいいのかなあ…」という焦りによって目の前の物事がカスんで見えてくる症状である。

 しかしこの「理想の自分」というやつは、探すのは簡単でも捜索をやめるタイミングが難しい。誰かに相談してみたところで「最後は貴君が決めることだ…」といわれるに決まっている。そもそも、探しているものがこの世に存在する保証はないのだから、ここはひとつ似たようなもの、つまり神とか死とか「たぶん存在するんだろうけど自分ひとりでは確かめられないもの」を認識するやり方を使ってみるのはどうだろう?

 ふとそんなことを思ったのも、最近読んだ脳神経科医のエッセイ集『妻を帽子と間違えた男』に登場する「自分を喪失した患者」のエピソードを読んだとき「自分」というものが何か、急にはっきり見えたような気がしたからだ。

妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 患者はジミーという当時49歳の男性で、病名はコルサコフ症候群。アルコールの過剰摂取が引き金となり、19歳以降の記憶を失っていた。病気が発症してから彼の記憶は「1分くらいしかもたない」。それでいて「知性や知覚能力は、ぜんぜん損なわれることなく保存され、依然としてきわめてすぐれている」という。彼にとって自分はずっと19歳の青年であり、そこで時間が止まったまま生活しているらしい。

 この患者について著者のオリヴァー・サックスは、以下のように書き留めている。

 「この底なしの忘却、この痛ましい自己喪失を、ジミーは知っていたとも言えるし、知らなかったとも言える(もしわれわれが足とか眼を失ったとしたら、われわれは足や眼がなくなったことに気づく。だが自分自身を失ったとしたら、そのことを知ることができない。なぜならば、それに気づく自分というものがいないのだから)。それゆえ私は、こうした問題を彼に質問することができなかった」

 この記述を読んで、私は2つのことに気がついた。1つは世の中には「自分」を持たないまま一生を終える人もいるのだということ。そしてもう1つは「これが自分だ」というアイデンティティの感覚は、連続する記憶が支えているということである。

 だから、冒頭に書いた友人の自分探しへの悩みは、自分のルーツが見えないことへの不安ではないかと思う。つまり、共有できる過去の喪失。この問題の解決が難しいのは、解決の鍵が個人の記憶ではなく、社会の記憶にあるからではないだろうか。若い人の多くはいま、生活に直結する集団的な記憶をあまり持っていないような気がする。自分がどういう歴史をもつ社会の一員であるか、ということが、日々の暮しの中で確認できるようになれば、友人の悩みも緩和されるかもしれないなーと、思う。

 ところで、医者であるサックス氏は、記憶と同時に自分を失ってしまったジミー氏にどんな治療を施したのだろうか。彼はまず、患者に日記をつけるようすすめるが、すぐに日記をなくしてしまい、前日書いたことに関心を示さないのでうまくいかない。つづいてレクリエーションをすすめ、他の患者とのゲームやパズルに参加してもらうが、どれもそつなくこなすかわりに「むっとした態度」を示すようになる。「意味とか目的といったものを、彼は望んでいた」。

 もう自分を取り戻すことはできないのだろうか…。万策尽きたサックス氏はジミー氏のことを「失われた魂」なのかもしれないと思うようになる。しかしあるとき看護婦たちから、ジミー氏が礼拝堂(チャペル)にいるときだけ「ひたむきな精神の集中」を取り戻していると聞きつける。そこでサックス氏は、礼拝堂で患者の新たな一面を目撃するのだ。

「そこにはもはや、記憶喪失もなければ、コルサコフ症候群もなかった。そんなものの存在を思いつくことすらできないくらいだった。もはや彼は、うまく働かないメカニズムの犠牲者などではなかった。健忘や記憶の不連続がいったいどうだというのか? いまや彼は、あるひとつの行為に全存在をかたむけ、それに没頭していた。ものに感情と意味をあたえるところの有機的統一が、すき間ひとつ割れ目ひとつない連続が、そこに達成されていた」

 サックス氏はこのエッセイの締めくくりを「芸術や聖体拝領や魂のふれ合いなどによって人間らしさは回復されうる」という言葉で結んでいる。これはいま自分探しに悩む人に、歴史から切り離されてしまって混沌状態に苦しむ精神にヒントを与える言葉だと思う。

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 本全体の紹介をするのを忘れました。これはサックス氏が診療中に出会った「奇妙な患者たち」の症状を考察したエッセイ集。1992年に晶文社から出ていたものが、2009年にようやく文庫で読めるようになりました。ゲッツ!

 ちなみに、この本のタイトル(”The Man Who Mistook His Wife for a Hat”)にインスピレーションを受けて、英国グラスゴー出身の4人組、トラヴィスは傑作セカンド・アルバム「ザ・マン・フー」を作ったそうです。その意味では、ロック史的にもすごく重要な一冊、なのかも。(波)

ザ・マン・フー

ザ・マン・フー