その16 生きることに絶望したときに開く1冊。

いことがあると、そればかり考えてしまう。「辛いこと」を反芻するのは、ほんのりと甘いから。でも、長く咀嚼し続けると、ある瞬間からそれは嫌な苦さに変わる。頭の奥が痺れてくる。すべてが面倒になる。明日なんて来なければいいのに、と思ってしまう。それが、絶望。生きることに絶望を感じたら、この本を開くようにしている。

にほんご (福音館の単行本)

にほんご (福音館の単行本)

言葉。目で見ることの出来ないそれは、使い手によって形や温度を変える。言葉を操るのが上手な人は、人の気持ちを扱うのも上手。どちらも力強く握ると壊れてしまうし、大切に扱いすぎても自分のものにはならないでしょう? わたしは言葉を使うことが下手で、人の気持ちに触れることを不得手としている。思ったような形になってくれない、わたしの言葉。ふわりと漂って儚く消えてほしいのに、出てくるスピードは速いし、なんだか鋭角的な形をしているし。国語の成績は良かったのに、なぜ自分はこんなにも言葉との相性が悪いのか。それは、わたしが必死に身につけたのが「こくご」であって「にほんご」ではなかったからかもしれない。

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この本は「にほんご」の使い方を教えてくれる教科書。いたって普通、ただちょっとばかし不思議な教科書。「接続詞」「感嘆符」「四文字熟語」「漢字の書き順」なんてものが出てこないところとか、物語が少ししか載っていないところとか。この本が教えてくれるのは「にほんご」のうつくしさ、そして言葉の強さ。あとがきに書かれている“本書が誕生した経緯”と”編集委員による本書の理想的な使い方”に詳しい。

  • 小学一年生のための国語教科書を想定しています
  • 私たちはこの「教科書」が、直接教室で用いられる代りに、一人の教師の心と体にいくばくかの影響を与えることのほうを、むしろ望んでいるかもしれません。
  • 言語を知識としてというよりも、自分と他人との関係をつくる行動のひとつとして、まずとらえています。
  • ことばは口先だけのものでも、文字づらだけのものでもなく、全身心をあげてかかわるものだということを、子どもたちに知ってほしいと思います。

言葉の持つ無限の可能性、それを知るだけでも言葉が身近なものになってくる不思議。「小学一年生のための国語の教科書」と言いながら同時に「一人の教師に影響を与えたい」と書いてしまう矛盾も本書を読むと解るような気がしてくる。

こうていにでて、あおぞらをみあげながら
「そら」っていってごらん。
かぜになったつもりで、
はしりながら「かぜ」っていってごらん。
どんなきもち?

ことばはからだのなかからわいてくる。

目で文字を追いながら、自然に声に出してそれを読む自分に気づく。くちびるに、のどに気持ちの良い文章は見た瞬間にわかる。「音読」ってたぶん、こういうこと。目に気持ちよくって読みあげたくなる。自分の声が鼓膜を震わせる、その振動がまた気持ちよくって。ページを捲ると「にほんご」が零れてくる。音、かたち、手触り、におい、温度をもった、生きている言葉たち。言葉が生き物だということに気づくと同時に思う。わたしの言葉は生きているか?と。自分の中にある言葉のストックを会話のスピードに合わせ取捨選択することで精一杯だった。わたしは何も話していなかった。声を発していただけだった。ページを捲るたび、言葉と自分の距離が近づいていくのがわかる。自分の体のなか、記号でしかなかった言葉が密やかに息づく感じ。

だんだん近づく、栞の挟んであるページに。134ページ、わたしが一番好きなとこ。

あなたも いつか おとなに なる。
おおきくなったら なにを したい?

あなたは いま、 ここにいる。
たいむ・ましんが できないかぎり、
ひとは、きのうへ もどることは できない。
あすへ ゆくことも できない。
 
でも ひとは こころの なかで
きのうを おもいだすことが できる。
あすを ゆめみることが できる。

とおい むかしから、 ちきゅうの うえの
いろいろな ところで、
ひとは いちにち いちにちを いきてきた。

きのうと きょうは よく にているけれど、
おなじでは ない。
そして あすは いつでも あたらしい

生きることに精一杯で、今日の感触が薄れていく。昨日・今日・明日が同じことの繰り返しに思えてくる。過去と現在、そして未来が地続きであるような錯覚をおぼえる。辛いことが起きると動けなくなる。取り返しのつかないことをしてしまったという気持ちでいっぱいになり、立ち止ってしまう。そういうぎりぎりのところを、この本は助けてくれる。

誰かを好きになると、その人のことをもっと知りたくなるように。 「にほんご」を好きになったら、もっと「にほんご」を知りたくなる。そんなときは、こちら。

海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)

海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)

「にほんご」の98ページと「海潮音」の73ページがリンクしていると感じるのはわたしだけ?(歩)