その10 そもそも本が好きじゃない人に贈る一冊。

生の半分は読書をしていた。
ご飯を食べながら読み、
電車の中で読み、
授業中に読み、
お風呂で読み、
読書をしながら眠りに落ちる。


“テレビと漫画は禁止”という家庭で育ったので幼い頃から活字とは仲が良かった。だから「漫画は読めるけど小説はダメ。字を見るだけで頭が痛くなる」なんて聞くと、もったいないなあと思う。映画や漫画と比べて本は敷居が高い。そう人は言うけれど本は一番自由だと思うから。

並ぶ文字列から見える風景が読むたび違うのがいい。自分がそこに登場できるのがいい、主人公と会話できるのがいい。物語の隅っこにある余白で好き勝手できるのがいい。
ただ、それを読書が苦手な人にどう伝えればいいのか?そんなときに本棚から取り出すのがこんな本。一人の高校生、田家実地子が『チボー家の人々』を読む、ただそれだけのお話。

黄色い本 (KCデラックス)

黄色い本 (KCデラックス)

副題が「ジャック・チボーという名の友人」これだけで、ぐっとくる。

読書の愉しみを漫画で伝えるなんて、ちょっと邪道だと読書好きには言われてしまうかもしれないけれど、目に見えないはずのものを視覚化している凄い一冊なのである。


■目に見えないもの = 読書に落ちること

眠りに落ちるように、本の世界に引きずり込まれることがある。それを実感する手っ取り早い方法は音楽を聴きながら読書をすること。(ファミレスやマックのような喧噪のなかでの読書でもいい)ページを捲るうち、物語と自分との距離が徐々に詰まってくる。さらに読み進めていくと、それまで聞こえていた音が聞こえなくなる瞬間がある。
音の消滅。
規則的に配置された字のあいだ、見たことのない光景がむくむくと立ち上る。やがて聞こえてくる登場人物たちの声。物語のなか、冒険が始まるしずかな高揚感。
それは本を閉じた後も続く。たとえば、素敵な映画を観たあとの数時間のように。本を開く前と後とで、これまで見えていた世界がまるで違うものに思えてくる不思議。


■目に見えないもの = 活字の中毒性


はやす
菜ッパ
刻む
水したむ
もっと
知って得する、知らねば人に笑わいる
煮〆の煮方だ 覚えときなせえ
(29P)


この物語のなかに料理をする場面は2つある。最初にそれが出てくるのは29P。
ページ、料理、ページ、料理、料理、料理、料理、料理。
野菜を切る手元と『チボー家の人々』のページのアップとが交互に描かれる。では63ページのほうはというと
料理、物語、物語、ページ、物語、物語、ページ、ページ。
料理の比重の低いこと!僅か30ページほど物語が進むあいだに、主人公と日常生活が物語に浸食されてしまっているのが分かる。

友達とのやり取りのなかで、通学の途中で、家族との対話のなかで、実地子は物語を反芻する。けれど物語世界に片足を突っ込みながら送る日常生活は難しい。物語の中では主人公たちが熱く討論を繰り広げている。参加者である実地子も意見を持って闘わなければならない。しかし現実では母親が「早く寝ろ」と怒鳴るのだ。

そうぞうしい夜
寝てもいけない
起きてもいけない
そうぞうしい夜
(51P)

日常生活の付属品として読書が存在するのでなく、読書が主体性を持ちはじめること。日常生活が物語世界に寄り添ってゆくこと。
これが活字の中毒性。


■目に見えないもの = 読書体験と、その終わり

ジャック
家出をしたあなたが
マルセイユの街を
泣きそうになりながら歩いていたとき
わたしがその 
すぐ後を歩いていたのを知っていましたか?

メーゾン・ラフィットの小径では
菩提樹の陰から祈るような思いで
おふたりのやりとりを聞いていました

いつもいっしょでした

たいがいは夜

読んでないときでさえ

だけどまもなく
お別れしなくてはなりません
(69P)


大好きな1冊を読み終えたとき、その世界から離れるのが名残惜しくてページを遡ってぱらぱらと捲ってみると自分がその本のなかで体験したあれやこれやが見えてくる。けれど初めてその本を読んだときと同じ気持ちになれることは滅多にない。1冊の本を読んで得られる体験は、読者の知らないところで読者のふかいところを変えてしまうから。

「ああ、自分はここまで来てしまったのか」というしみじみとかなしく、まんぞくな気持ち。学生だったころ、あんなに大好きだったのに連絡が途切れてしまっていた友達と何かの縁で久しぶりに会ってみたんだけど、あのころとは何かが違っていてむかし、その友達に対して楽しさや好きという気持ちを感じた事実はおぼえているのだけれどじゃあそれがどんな気持ちだったのかといえば全く思い出せないことに切なくなるような。

誰かの目を通して見える世界を眺めるのではなく、物語のなかに自分が入ってゆくスリリングな体験。そして、それが終わるときの切なさ。

読書が好きな人なら自分の読書体験を重ね自分の物語として読むことができる。読書が苦手な人なら、読書の持つ愉しさ/せつなさ/おそろしさを知ることができる(そこから読書に興味を持ってもらえると嬉しいのだけれど)、そんな1冊。


この本ほどは丁寧には伝えられないかもしれないけれど、本が好きな人にも苦手な人にも、自分が物語のなかで見た景色を伝えることで新しい本に興味を持ってもらえればと思っています。よろしくおねがいします。(歩)