その4 世界音痴を自覚したときに読みたい本。

 日本人が理解しにくい国際ニュースの一つにパレスチナ問題がある。テレビのニュースや新聞の国際面でドンパチやっているのは知っていても、正直言ってほとんどの人々が興味を持っていないのではないだろうか。
 僕らのパレスチナ問題の認識というのはせいぜい、
(1)ユダヤ人がイスラエルという国を無理に作ろうとしてアラブ人と喧嘩している
(2)だいぶ前それをきっかけにオイルショックが起きて騒ぎになった
(3)戦争なんてお互いの利益にならないんだから、早く仲直りすればいいのに
 といった程度だろう。
 全国紙の論説委員諸氏や国際平和活動に従事されるNGOの皆さんは、日本人の無関心を嘆かれるのだろうが、それはそれで仕方のないことだ。人は身近な問題から考えてしまうもので、パートナーの浮気から抜け毛の本数まで、悩むことは山ほどある。そして僕らの頭は、あまりに小さい。
 ただ、ちょっと時間があるなら、読んでほしい一冊がある。

ハイファに戻って/太陽の男たち

ハイファに戻って/太陽の男たち

 表題作の「ハイファに戻って」は、あるアラブ人の夫婦が主人公。イスラエル軍侵攻で祖国を追われた彼らに、20年の時を経て故郷・ハイファに帰るチャンスが与えられた。
夫は心の中でつぶやく。
「私はこのハイファを知っている。しかしこの町は私を知らないというのだ。」
 夫婦は元の住まいにたどり着いたが、その家にはすでに別の住民(ユダヤ人)がいた。夫婦はぎこちない挨拶を交わし、自分たちの家に「入れてもらう」。
 夫婦には、混乱の中で置き去りにしてしまった息子がいた。彼はよりによって、敵であるイスラエル軍の軍服を着て現れた。「育ててくれたユダヤ人以外に親はいない」と言い放つ息子に、「誰と、何のために戦っているのか」問いかける生みの親。息子は答えた。

「あなたには、そんなことを尋ねる権利はありません。あなたは向こう側の人だ」
「私が? 私が向こう側の人間ですって」
 彼は力むように笑った。彼はそのかん高い哄笑によって、胸中の緊迫感と怖れと不幸とを外に吐き出しているように感じた。彼は突如、世界中が覆るか、眠りこむか、死に絶えるか、あるいは自分が外にある車へと飛び出して行ってしまうまで笑いに笑い続けたいという衝動に襲われた。青年はむっとして口をはさんだ。
「笑う理由がわかりません」
「私には笑う理由があるんだ」

 作者のカナファーニーパレスチナ人、それも人民戦線のスポークスマンを務めたバリバリの活動家である。ちなみにこの中編を書き上げた直後、自動車に仕掛けられた爆弾で暗殺されてしまう。そんな一つの立場を代表すべき彼の文章に記されていたのは、目の前にあるアラブとユダヤの対立ではなかった。戦いを続けた人間が陥る不条理に向けた「悲しい笑い」であった。
 昨今の世界では、文学というものは役に立たないものだと思われている。政治や経済と違って、無用とされている。しかし、文学という徹底して人の営みを描く行為は、時として国や人種、社会階層といったそれぞれの立場を相対化する力がある。そのパワーは決して軽くないと思う。
 本を読めば世界がわかる、とまでは言わない。でも、文学は世界への入り口になりうるのだ。(藪)