その5 性に振り回されてしまった後に読む本。

 他人の話となると冷静でいられるのに、いざ自分が直面すると、どう考えてもばかな行動をとってしまうことは色々とある。何といってもその代表は、性の問題だ。

 まず冷静に考えてみる。性には子を作る目的と、さわったり愛をささやき合ったりして感覚的にうれしくなる効能がある。ゾウリムシのように単細胞分裂をしていればよかった時代から、性を交わすまえに久しぶりの再会や酒の勢いなどを必要とする複雑な時代になってしまったのはなぜだろう。おそらくそれは「どんな環境でも生き残れるように、さまざまな種類をつくっておいたほうがよい」という遺伝子の思惑のせいである。

 生物学者福岡伸一は新書『できそこないの男たち』で、アリマキという昆虫を例に挙げ、性別が分かれた理由について述べている。メスが誰の助けも借りずにメスを生むことのできるアリマキは、他のメスの魅力を自分の子孫に取り込む為「使い走り」として一年に一度だけオスを生む。誕生したかれは、一生ほかのメスと性を交わしまくっていろんなメスの魅力を次世代にブレンドするのである。人間の性別の起源もここにあるという。そして性感はおそらく、この苦行を緩和するためのごほうびとして与えられたのだ。

できそこないの男たち (光文社新書)

できそこないの男たち (光文社新書)

 以上2つの説を踏まえれば、男が女を好きになったら「また遺伝子の思うつぼになってる」と思えばいいし、男が男を好きになったら「個体の反逆だな」と思えばいい。

 でも、自分のことになると、全然そんなふうに思えないのが不思議なところだ。自分の性欲を誰かのせいにすると、すごく違和感を覚える。私が今までで一番性の矛盾を強く感じた瞬間は、ひとりクラブに行ったあとの帰り道、始発電車に乗り、ヘッドホンをかぶってベックの「ミューティションズ」を聴いていたときだった。(これ、落ちこんだ時に聴くのにはとてもいい音楽です)

Mutations

Mutations

 家でひとり頭腰を振らず、わざわざクラブに行くのはそこに「充満する性の香り」を期待するからである。しかし、何度行ってもそんなものはどこにもなく、あるのは穴だらけの壁にこもった空気だけ。一晩滞在して発する言葉は「ビールください」と「ホー」(奇声)。どう考えても2500円の入場料+酒代に全然釣り合わない。あんなに切実だった夜の期待は何だったんだろうと思う。のに、一度でやめればいいのに「もしかしたら今夜は」と思ってそのあとも私は何度かクラブに行くのである。この行動の理由を納得しようするとき、私は自分の個体を超えた何ものかの存在を認めないではいられなかった。

 これは一例で、性に振り回されたシチュエーションは人それぞれだと思う。でもそこには共通の苦悩がある気がする。今日はそんな、性にまつわる「やりきれなさ」を感じたことのある人に一冊すすめたい本があります。

ジャンキー (河出文庫)

ジャンキー (河出文庫)

 ゲイで、麻薬依存症で、奥さんを射殺した作家の自伝的告白である。冷静な筆致で、えんえんと麻薬常用者の生活が記述されている。この本の効能は、ジャンキーの生活を頭のなかで擬似体験することで、生物的時間から解放される気持よさと、その恐ろしいまでの退屈を味わえる点にある。ほんとうにやったら死ぬか、人生を棒に振ることを実際にした人の手記だというだけでも価値があるが、何より驚きなのは文章が全然ラリっていないことである。すごく頭のいい人が自分を冷静に観察している。自分が石になって世の中を観察したらこんな感じだろうか。詩人・鮎川信夫の訳文もいまだにフレッシュ&ブリージング。

麻薬は「いい気分」になれるものではない。常用者にとって麻薬の一番の問題点はそれが習慣性をつくることだ。麻薬切れの苦痛を味わうまでは麻薬が何であるか誰にもわかりはしない。(191p)

快楽とは物事を特別な角度からながめることだ。快楽とは、次第に老いぼれていく、用心深く、口やかましく、いつもびくびくしている肉体の呪縛から、ほんの少しのあいだ解放されることだ。(278p)

 ひょっとしたら自分は「遺伝子の囚人」かもしれない、と感じるようなとき『ジャンキー』を読めば、それ以外の生き方がどんなものかを、おぼろげながら想像できる。そして、人が集団的時間と個体的無時間、二つの時間感覚の極端のあいだをさまよって生きて行くしかないということが、やんわりと腑に落ちてくる(はずです)。(波)