その3 こんなつまんない飲み会、帰ればよかったかなぁ…と思った夜に開く本。

 くるりの歌に「僕が旅に出る理由は だいたい百個くらいあって…」(「ハイウェイ」)という詞があるけど、それを言うなら、私が飲み会から帰りたい理由だって、たまに百個くらいある。

 ひとつめは歌と同じで「ここじゃどうも、息がつまりそうになった」ふたつめは「使いかけた家の野菜が、私を誘っていること」、みっつめは「放っておかれた料理が、乾いていくのに耐えられないこと…」。この他もろもろ。どれもろくな理由とはいえない。

ジョゼと虎と魚たち(Oirginal Sound Track)

ジョゼと虎と魚たち(Oirginal Sound Track)

 もちろん誰が悪い、というのではなく、私が悪い。楽しい時間に楽しめないくせにひとり淋しさに耐えることもできないという自分の半端さがすべての原因なのだ。だから飲み帰りは、やりきれなくなって、大概しょんぼりしている。ほんとうに行って楽しかったと思える飲み会って、3回に1回あればいい方じゃない?

 …と、やや前置きが長くなりましたが、季節も春なので、飲み会に行くとそんなアンヴィヴァレントな気分になってしまう人のために、今日は田村隆一の詩集をすすめます。

腐敗性物質 (講談社文芸文庫)

腐敗性物質 (講談社文芸文庫)

 酔って帰ってきた夜、おなかがすいて家でなにか簡単なものをつくってたべたけど、すぐ寝ると気持悪くなるのでちょっとぼんやりしたい深夜1時くらい。あるいは、1次会でさっさとひきあげてしまって、ほとんど素面なんだけどぽっかりあいた夜の時間にどうしていいかわからないようなとき。そんな時間が、この『腐敗性物質』を開くのにはうってつけだと思う。

 この自選詩集には5つの詩集が収められているが、飲んだあとに読むべき詩はきまっている。それは、私がこの作家の詩で一番大切にしている有名な「帰途」という詩である。

 帰途


 言葉なんかおぼえるんじゃなかった
 言葉のない世界
 意味が意味にならない世界に生きてたら
 どんなによかったか


 あなたが美しい言葉に復讐されても
 そいつは ぼくとは無関係だ
 きみが静かな意味に血を流したところで
 そいつも無関係だ


 あなたのやさしい眼のなかにある涙
 きみの沈黙の舌からおちてくる痛苦
 ぼくたちの世界にもし言葉がなかったら
 ぼくはただそれを眺めて立ち去るだろう


 あなたの涙に 果実の核ほどの意味があるか
 きみの一滴の血に この世界の夕暮れの
 ふるえるような夕焼けのひびきがあるか


 言葉なんかおぼえるんじゃなかった
 日本語とすこしの外国語をおぼえたおかげで
 ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
 ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる


  ―詩集「言葉のない世界」より

 静かな部屋で、この詩集を開く。すると、高いお金を払って、きゅうくつな話題やらタバコの匂いやらがいりまじった座敷に集まって、耐えきれなくなって床のぬれたトイレで用をたして、やたらと混み合う終電近くの電車にのってうなだれるようにつり革につかまって、私はいったい何をやっていたのだろう?と思う夜の「何か」の意味が急にくっきりと見えてくる。すべての酒飲みがひそかに共有する大前提を浮かび上がらせる力が、この詩行にはひそんでいるような気がするのだ。

 詩の一行目は、飲み会なんてもういやだという気持と似ている。けれど詩の最後の行からは、無意味なことに誰の保証もなく向かって行く人の勇気とやさしさのようなものが感じられる。

 ところで、この詩を読むといつも思い出すことがある。それは、学生の頃に読んだ本に書いてあった「人間をほかのものと分けるものは言葉だ」という説である。

「人びとが行ない、知り、経験するものはなんであれ、それについて語られるかぎりにおいてのみ有意味である。たしかに言論を超えた真理も存在しよう。そしてそれらの真理は、単数者として存在する人、いいかえると、他の点はともかく少なくとも政治的な存在ではない人にとっては、大いに重要であろう。
しかし、この世界に住み、活動する多数者としての人間が、経験を有意味なものにすることができるのは、ただ彼らが相互に語り合い、相互に意味づけているからにほかならないのである」(14p)

 生きるために必要なことだけをやるなら、それは動物でもできる。何かを作り出す行為だったら、機械でもできる。人間にしかできないこと、それは誰かと無駄な話をして、新しいルールをつくることだと『人間の条件』という本のなかでハンナ・アーレントは述べている。もしアーレントの考え方が正しければ、どんなに非生産的な飲み会であろうと、それは人間が人間であることを確かめるための集まりなのである。

 何を随分と大げさな…と思われるかも知れませんが、ときに、下戸が飲み会に楽しく参加するためには、このくらいの言い訳が必要なのです。世の酒好きの皆様にはくれぐれもその旨、ご承知置きいただきたく…。(波)

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

人間の条件 (ちくま学芸文庫)