その2 旅に出たくなったとき開く、他人様のアルバム。

 く「このボンボンが!」と罵るので、「金持ちが嫌いなんですか」と聞かれたけど、そんなことないです。そりゃあ僕は貧乏人だけど、やっぱりいい生まれ、いい育ちをした人というのは、自分と別の世界を知っているし、違う考え方をするので、おもしろい。

島秀雄の世界旅行 1936-1937

島秀雄の世界旅行 1936-1937

 島家というのは、徳川御三家のひとつである紀州松平家のお膝元で続く薬屋、つまり名門である。父・島安次郎は鉄道技師として、明治政府の富国強兵策にしたがい、勃興期の鉄道を技術面で支えた。そしてこの本の主人公である息子・島秀雄は東京帝大を卒業後、鉄道省に入り、在外研究員として世界一周の旅に出た。1936年、今からおよそ70年前のことだ。彼は当時珍しかったカメラ(ライカ)を持っており、旅行中に写した2300枚の写真が、銀座・伊東屋製の7冊のアルバムに残された。それをセレクトしたのがこの本である。

 横浜を出た船は上海、シンガポール、カイロと辿りながら、マルセイユに到着。ヨーロッパにしばし滞在したのち、南アフリカへ。その後、南米を経てからアメリカの東西を往復し、日本に戻る。その旅は1年9か月に及んだ。
 ページをめくると、タイムスリップしたようで楽しい。概してヨーロッパは、いま見るのと近い街並みが出来上がっており、さすがだなと思わされる。道中、スフィンクスからコロセウムまで、著名観光地の写真も収まっており、今と変わらない姿がある。そりゃそうだ。長い時の流れに耐えうるものが観光地として残るのだから。そういった意味では、今の東京にいくつの観光地があるのか、心許ない。

 1936年というのは、すなわち昭和11年である。満州事変から5年を経たこの年には2・26事件が起こり、翌年の日中戦争、5年後の太平洋戦争へ向かう、下り坂の時代という印象が強い。ところが収められた写真に、暗い影はあまり見られない。船旅の写真や食事のパンフレットも残されているが、豪華の一言である。
 本によると、鉄道の、ひいては日本の未来を担うエリートであった彼らは、かなり自由にお金が使えたらしい。実際、島秀雄はこの時の見聞をきっかけに研究を進め、およそ30年後に東海道新幹線を造りあげた。お金は、かけるべき時にかけなければならないのだ。それを決して、贅沢とはいわない。

 マジメな鉄道技師であった彼だが、実は鉄道よりクルマが好きだったらしい。アメリカの東西横断にあたって、片道は鉄道を使ったが、帰り道では最新型のフォードを買い、ドライブを楽しんでいる。ところが太平洋岸・ロサンゼルスまであとちょっとの山道でスピードを出しすぎ、クルマは横転。その時の写真の脇には、彼の字で書き残された一言。「ツヒニ!」マジメといわれる彼の、意外なヤンチャぶりが伝わるようだ。
 そして、彼と旅の多くをともにした、下山定則の写真も多く残されている。戦後の混乱期に起きた「下山事件」の犠牲者として名をとどめる彼の、まだ若くて元気な顔が、ちょっとかなしい。

 この本の定価は5000円近くする。だけど、百万円かけて出かける現代の世界一周で見られない世界が、ページをめくると広がっている。
 近くの本屋さんから始まる旅だってあるのだ。(藪)