その132 おめでたい日に違和感を感じたときに読む本。

 十年も生きてきて、自分の幸せを疑わない人というのはたぶんいないと思う。それなりに幸せな人も、もっと幸せな人を見て嫉妬したり、いつか突然に訪れる自分の幸せの崩壊をぼんやりと予感して不安になったりするのではないかと思う。幸せはいつもさしあたっての幸せで、その幸せも幾多の不幸との比較対照によって成り立っているのでみんなが幸せになるなんてことは原理的にありえない。
 それとは反対に、自分の不幸を疑わない人は無数に存在すると思う。大人だったら誰しも、これだけは譲れないという自分だけのダークマターのひとつやふたつを心に秘めているものである。不幸は不幸であるかわりにいままでもずっとこれからも不幸であることをやめはしないので、抱えているとなんだかとても安心する。
 そんなことをぼんやり考えるのも、最近読んだ海外小説のアンソロジー『厭な小説』が気に入ったからだ。

厭な物語 (文春文庫)

厭な物語 (文春文庫)

 この本はタイトルの通り世界中から厭な結末を迎える短編ばかりを選んで編んである。死とか死とか死とか死とか暴力とか死とか死の物語だ。掛け値なしの不幸が読める。まじりっけなし悪意100%ストレートジュース11本。作家がまたすごい。アガサ・クリスティーパトリシア・ハイスミスモーリス・ルヴェル/ジョー・R・ランズデール/シャーリィ・ジャクスン/ウラジーミル・ソローキン/フランツ・カフカ/リチャード・クリスチャン・マシスン/ローレンス・ブロックフラナリー・オコナーフレドリック・ブラウン。いわゆる古典からホラー、ミステリー作家まで古今東西文庫オリジナルとして集めてあって、どっか海外で売れたやつを日本でも売れんじゃねえかって適当に翻訳で出してみたなんて企画では全然ない。とにかく最高に厭なものを手摘みで選りすぐりましたっていう作り手の本気が伝わってくる本だ。

 並の死骸ではない。ものすごい死骸だ。犬のやつは少なくともセミトレーラーに、たぶん二、三回は轢かれていた。犬の体が雨になって降りそそいだようなありさまだった。コンクリート一面に体の破片が飛び散り、一本の脚など道路の向こう側の縁石のところで突っ立っていて、ハローと手を振っているみたいに見えた。フランケンシュタイン博士がジョン・ホプキンス医科大学を卒業してNASAの力を借りたとしても、あいつをもとどおりにするのは無理だろう。
(ジョー・R・ランズデール「ナイト・オブ・ザ・ホラー・ショウ」)

 それにしても、いい本、心温まる本をこれはいい本ですって真剣に薦めると自分がまるで馬鹿みたいに思えるのに、厭な本をすすめるとなぜこんなに気持ちが安らぐのだろう。やっぱり私は性格が暗いか悪いかどっちかなのだと思う。両方でないことを祈るばかりだ。だから暗くも悪くもない人にはあまりおすすめしません。この世に溢れる幸せに触れるとなんとなく気分が悪くなる人には全力でおすすめしたい本です。
 読んでどうなるかというと、きっと昨日までのあなたより不幸になります。(波)