その129 教養としてのゾンビ。
ゲーム好きの間で、異様に難易度が高かったり単調だったりするゲームのことを、いくぶんかの愛着をこめて「クソゲー」と呼ぶことがあるが、本の世界にもひっそりと、そういう「おバカ本」の類は息づいている。先日、本の業界紙の宣伝をぼんやり見ていたら気になりすぎる新刊を発見した。『ゾンビ襲来』というタイトルで、書いたのは国際政治理論を専門とするアメリカの教授。帯に「その日にどう備えるべきか? 各国首脳必携!」と書いてある。あえて言わせてもらいますが、アホかと。でも私は知っている。このような馬鹿フルスロットルの本を仕事の合間を縫って一生懸命執筆した人がいて、編集した人がいて、それを辞書を引きながら伝わりやすい日本語をめざして翻訳した人がいて、なるべく多くの人に届けられるよう配本した人となるべく多くの人の目に触れるよう新刊台に積んだ人がいるということを。このような冗談を実現するために費やされた時間を想像して私はめまいが覚えるほどのおかしさを感じた。だから、すぐに買いにいって、その紹介文をいまここで書いている。つまり、私もミイラになってしまったわけだ。
- 作者: ダニエルドレズナー,谷口功一,山田高敬
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2012/10/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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本書で検討される理論パラダイムは、リアリズム(現実主義)、リベラリズム(自由主義)、ネオコン(新保守主義)、コンストラクティヴィズム(構成主義)と多岐にわたり、国際政治学上の講学上の諸理論の、ほぼ全域をカバーしている。(解説より)
ほら、もうこの時点で読む必要がないと思ったあなた。あなたは正しい。私は間違ってもこの本の質が高いなどと主張するつもりはない。ゾンビをネタにして学者が専門用語を並べ立てて語ったお笑い本以上のものだとは思わない。でも、面白いのだ。何が面白いのかというと、読んでいるうちに、この人が職業にしている国際政治理論なんて本当は必要ないんじゃないかと思えてくるところが。そしてそれは、ゾンビ映画を見ているとき、本当はゾンビより人間のほうが怖いんじゃないかと思えてくるときの面白さにすごく似ている。こんな本書いちゃって、この人仕事にぜったい悪い影響出ているだろうなとか、同業者に悪辣な批判くらっているだろうなとか、容易に想像がつくのだが、そんなの関係ねえ、俺はゾンビが好きなんだッ!!という愛というか侠気のようなものが文の端々からひしひしと伝わってくる書物である。
リビング・デッドは風呂に入ったり、ひげを剃ったり、服を着替えたりしなくても良いし、自分たちの同類を外見で判断することもない。ゾンビは、人種や肌の色、民族、性的指向に基づいた差別をすることもない。彼らは常に大きな群れでいる。彼らは究極のエコを実践している。ゾンビは、どこにでも歩いて行き、オーガニック食材〔人肉〕しか食べない。このような記述は、多くの社会において変革の主体であるところの、大学生のライフスタイルの特徴を正確にとらえている。ゾンビは、人をゾンビが望むものへと導く、ソフト・パワーの隠された貯水池なのかもしれない。
この本を読みながら、私はいつのまにかゾンビに嫉妬していた。そしてこの著者がゾンビを見るようにゾンビを見てみたいという気持ちがむくむくと湧いてきた。そうしてあまたのゾンビ映画を観たあとに、もういちどこの本を読むことができたとき、きっと私の眼球から鱗が剥がれ落ちるはずだ。
(写真:本カバーの袖についている著者プロフィールが最高な件)
妻エリカは、私が書いた他のものに対してと同じように、今回の私のこの本に対しても、私を元気づける言葉と困惑したという態度との適度な配合で対応してくれた。このような形での彼女の惜しみなく冷静なサポートは、死して墓の下へと行っても永遠に続くことだろう。
最後に、『国際政治の理論』の著者であり、私の専門分野の大権威であるが、実のところ実際に会った事はないケネス・ウォルツに対しては、ひとこと言っておきたい。マジで、すいません…。
この巻末の謝辞もユーモアがあって好きです。(波)