その127 計算ずくの人生に飽きたら。
このところ、ブログの更新が滞っていた。ただ面白かった、ではすまされない本に出会わなかったからでもあるし、ブログを書くよりも大切なことがあるように感じたからでもある。早出して仕事をしたり、睡眠をとったり、家の掃除をしたり、ぼうっとしたりすることが大事に思えたので、ブログを更新しなかった。
けれども、幸運なことに、またいい本に出会えた。誰かに時間をかけて「こんな本をみつけましたよ!」と報告したくなるような本を読むことができたのだ。こういう読書をしている瞬間はほんとうに楽しくて、生まれてよかったと大げさでなく思う。
- 作者: マークローランズ,Mark Rowlands,今泉みね子
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2010/04/01
- メディア: 単行本
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ローランズという人はいわゆるエリートで、オックスフォード大学で哲学の博士号を18ヶ月という異例の早さで取得している。そんな彼が言うには、ブレニン(オオカミの名前)は「それまでの長ったらしい教育が教えてくれなかった、そして教えてくれることができなかった何かを教えてくれた」。
きっと多くの人々が、動物と一緒に暮らすことで、ローランズと同じような洞察をぼんやりと得ているのだと思う。ローランズのような論理的記述能力に優れた人がその洞察を明晰に記録したというところにこの本の価値はあるのかなと思う。
ローランズが得た洞察のひとつに「サル的」な生き方と対照的な「オオカミ的」な生き方というものがある。著者によると、私たちヒトはサル的な特徴を極端に発達させた存在なのだという。
「サル」とは、世界を道具の尺度で理解する傾向の具現化だ。物の価値を、それが自分に役に立つかどうかで測るのだ。サルとは、生きることの本質を、公算性を評価し、可能性を計算して、計算を自分につごうのよいように使うプロセスと見なす傾向の具現化だ。
この記述を読んで、私は、いま自分が仕事で必要とされている能力の多くがサル的な特徴に当てはまることを感じた。もっと言えば、それはプライベートな人間関係においてすらそうだ。いわゆる「成功」という言葉で表現されることを達成するためには、このサル的な要素が欠かせない。そして、仮にそうやって成功したとして、感じる空しさをどうしたらいいのだろうというのが、このところの私の悩みの一つだった。何かもっと別に大事なことがある気がするのだけれど、それが何なのかよくわからないという悩みだ。
著者が主張する「オオカミ的」なもの、そこに救いを感じたというのが、今日私がここで書きたいことだ。著者みたいに、オオカミを毎日職場に連れて行き、果ては動物への同情から菜食主義者になる、なんてことはできないけれど「オオカミ的」な生き方を自分なりに目指すことはできるのではないか、そう感じた。
ではその「オオカミ的」とはどういうことか。引用してみる。
ブレニンがウサギに忍び寄る様子を眺めているうちに、人生で大切なのは感情ではなくて、ちゃんとウサギを追いかけることなのだということを学んだ。わたしたちの人生で最良のこと、よくある表現を使えば一番幸せなときは、楽しくもあり、とても不快でもある。幸せは感情ではなく、存在のあり方だ。私たちが感情に集中するなら、大切な点を失ってしまう。
人生で一番大切なのは、希望が失われたあとに残る自分である。最終的には時間がわたしたちからすべてを奪ってしまうだろう。才能、勤勉さ、幸運によって得たあらゆるものは、奪われてしまうだろう。時間はわたしたちの力、欲望、目標、計画、未来、幸福、そして希望すらも奪う。わたしたちがもつことのできるものすべて、所有できるあらゆるものを時間はわたしたちから奪うだろう。けれども、時間が決してわたしたちから奪えないもの、それは、最高の瞬間にあったときの自分なのである。
あなたはいろいろな存在であることができる。けれども、一番大切なあなたというのは、策略をめぐらせるあなたではなく、策略がうまくいかなかったあとに残るあなただ。もっとも大切なあなたというのは、自分の狡猾さに喜ぶのではなくて、狡猾さがあなたを見捨てた後に残るものだ。もっとも大切なあなたというのは、自分の幸運に乗っているときのあなたではなく、幸運が尽きてしまったときに残されたあなただ。究極的には、サル的なものは必ずあなたを見捨てるだろう。あなたが自分自身に問うことのできるもっとも重要な疑問は、これが起こったときに、その後に残るのは誰なのか、という問題なのである。
わたしは時間の動物ではあるが、大切なのは最高の瞬間だということを今でも思い出す。大切なのは、収穫時の大麦の粒のように人生のあちこちに散らばった瞬間であって、人が何かを始めたり、終える瞬間ではないということを。
これらの記述のどこが「オオカミ」と直接関係するのだろうかと考えてみると、疑問は残る。けれどもこうした考え方は、著者がオオカミと一緒にいることで初めて見えた啓示なのである。
今、ここでいくつか引用しても唐突な印象は免れないだろうと思う。それでも、この本を手に取るきっかけのようなものになればありがたいと思って、感銘を受けた部分を抜き書きしてみた。自分のやっていることに時々空しさを感じながら、どうにかして救済を求めている人に是非読んでほしいと思う。
ちなみに、この本に出会った経緯を書いておくと、仕事が終わって飲み会までの空き時間、ジュンク堂書店大阪本店の3階で開催されていたフェア「レビュー合戦」の小冊子を手にとったことがきっかけだった。白水社、みすず書房、東京大学出版会の3社が互いの出版物をリスペクトしあうという代物で、そこにこの『哲学者とオオカミ』も紹介されている。興味のある方は、こちらをチェックしてみて下さい。(波)