その115 私たちは孤独から逃れられない

きみは誤解している (小学館文庫)

きみは誤解している (小学館文庫)

 婦で小さな寿司屋をやっている「おれ」の趣味は競輪だ。のれんを分けてもらった「おれ」の社長は「ギャンブルは人生を狂わす」が口癖だし、女房も「おれ」の真面目な仕事ぶりを信頼して一緒になってくれたので、小銭を賭けるだけとはいえ絶対にばれるわけにいかない。
 ところが、秘密とは最悪のタイミングで露見してしまうのである。女房が親代わりに慕っていた兄の葬式は小倉競輪祭の決勝戦と重なった。内ポケットに入れた三万円のはずれ馬券は、当然のように女房に見つかり、「あたしに隠れてこんな、極道がやるような賭け事をずっとやっていたのね」といった彼女は、若い男に走る。
 その男は、競輪の選手だった。「競輪をやる人間は極道でも選手は別かよ」そんな叫びには耳を貸さず、女房は離婚届を突きつけたあげく、社長に告げ口して「おれ」は破門を言い渡される。「おれ」は隠れてやる必要のなくなった競輪にどっぷりはまる。
 女房の不倫相手と対面した「おれ」は言う。「最近のてめえの成績は何だ。(略)悩み事でも抱えているのか」(「女房はくれてやる」)

 競輪を主題にしたこの短編集が伝えるのは、ひとの孤独である。「遠くへ」の中で、著者は阿佐田哲也らしき人物に言わせている。

「あんたはいつも独りぼっちだ、勝っても負けても独りぼっちだ、誰にも当たったことを自慢できないし、はずれたことで誰にも愚痴をこぼさない、それがギャンブルの世界のルールだ」

 私たちは孤独から逃れられない。ふだん、目を背けて生活しているだけだ。だが、ギャンブルはそのことを冷酷に突きつける。あなたのお金は私のお金ではない。あなたが勝ったからといって、私が勝ったわけではない。
 一方で、この本に収められた作品では、ひとのつながりが描かれる。介在するのはお金である。賭け金がなければギャンブルは始まらない。誰かからお金を集める。勝つこともあるし、負けることもある。増えたお金、あるいは減ったお金が、相手に何かをもたらす。
 新聞やテレビで叫ばれる「絆」のまやかしに比べれば、お金のやり取りで生まれた関係とはなんと足元のしっかりしたものだろう。
 競輪には、競馬やパチンコと比べてもいかがわしい雰囲気がある。多くの人が避けて通る。だが、いかがわしいものを遠ざけたからといって、自分が真っ当になるわけではない。いかがわしいものが拡大する真実を、見逃してしまうかもしれない。

 おれに言わせりゃギャンブルの手を借りなくても人生なんてもともと狂ってる。(略)ギャンブルに手を出そうと出すまいと、おれもあんたも狂った人生の真っ只中にいるんだ、実際のところ。

(藪)