その103 好きな本のことを忘れてしまった日に。
ほんとうはそのことについて何ひとつ知らないのに、単語だけ知っていたために会話が成立することがある。最近○○っていう小説読んだんですよ、ああ、あの××で直木賞とったあの人の最新作ね。ところで…というふうに。会話としては特にめずらしいものではないと思うのだが、それでもいま自分は何を会話したのだろうと思ってしまう。中途半端に固有名詞を覚えていたために、そのことについて何ひとつ知らなかったときよりも感情のない会話を導いてしまったことに対して、ときどき自分に疑いを感じる。
反対に、ある作品に対して、ものすごく強い感情だけが残っていて、その感じだけはリアルなのに人を目の前にすると大事なエピソードひとつ詳細には思い出せなくて、ろくな会話ができないこともある。いちばん好きな作品だったら、いちばん語れて当然のように思うのだが、現実はそうでもない。自分にとっては大切な作品なのに、その作品のことを忘れている。そんなときもやっぱり自分を疑う。でも実は、この疑いを晴らすことはできるのではないか、とも思うのだ。
「なつかしい」という日本語をまるごと表す英単語がないように、ある作品のある箇所の感動は、自分が頭に浮かべることのできる言葉にはないのかもしれない。また、作品がすぐれていればいるほど、その翻訳不可能な謎の部分は残り続けるのではないか、そう思う。ある本を何度も読んでしまうのは、その本を読んでいるときにしか現れない感情に出会いたいためではないだろうか。
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「でも……同じですよ」
いままでそうやって、何度も読んできた漫画がある。高橋留美子の『めぞん一刻』が、私にとってそんな作品だ。おんぼろアパートを舞台に、そこに住む浪人生と未亡人の恋を描いたラブコメの名作。でも私が何度目かに読むときに読んでいるのは五代と響子さんの恋というよりも、そこに描かれた出演者の洋服のぱっとしなさだったり、スナックで働く朱美さんの職場のインテリアの統一感のなさだったり、五代がバイトをするキャバレーの店長の眉の細さだったりする。そんなどうしようもないものに囲まれても優しく巻き込まれる五代の温かさが笑えるし泣ける。そのどうしようもないものたちは私の周りにも溢れているのだが、五代のような優しさが、果たして自分にあるかと問われたらかなり心許ない。だから五代の優しさが沁みる。
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「お願い… 一日でいいから、あたしより長生きして」
このあいだ、いちばん好きな漫画を三つ挙げてみて、という話になったときいちばん最初に浮んだのがこの漫画のことだった。でもそのとき、この漫画について何も話せることが浮ばなかった。そしてもう一度読んで、いまこの文章を書いています。(波)