その101 破滅しないためのワクチン。

 滅する人生が美しいというのは安っぽい考えだと思う。私はパンクロックもジャズも好きだ。でもミュージシャンの破滅的な生き方に憧れるのはまちがっている気がする。酒、薬物、暴力。そういったものと縁を切って、横綱白鵬みたいに、夜寝るのが一番好きだというミュージシャンがいても私は応援する。なのに世の中にはアートと破滅を結びつけて語る言説が跡を絶たない。それはいかに精密になされようとも、読む人が誤解するという意味で有害なものだと思う。たとえばジェフ・ダイヤーが8人のミュージシャンとジャズを描いた『バット・ビューティフル』のあとがきには、こんな記述がある。

一度も麻薬中毒にならなかったミュージシャンのリストは、麻薬中毒になったものたちのそれに比べると、才能の面から見て遥かに見劣りするものになるだろう。

ジャズというフォームには先天的に危険な何かが潜んでいるという物言いは、一見メロドラマっぽく聞こえるかもしれない。しかしどうみても、それ以外にまったく考えようがないのだ。

 ここで注意すべきは、すばらしい作品、演奏、そういった達成と破滅型人生は相関関係にあるかもしれないが、決して因果関係にあるわけではないということだ。私はこの考えを池谷裕二氏から学んだ。

プロの立場から言わせていただくと、「脳は相関関係が強いときに、勝手に“因果関係がある”と解釈してしまうものなんですね。……統計学は「相関の強さ」を扱う学問であって、「因果関係」を証明するツールではありません。だから、統計によって見出された「差」は、「そういう傾向がある」という以上の意味を持ちません。
 では、科学的に因果関係を導き出せないとすると、この世のどこに「因果関係」が存在するのでしょうか。答えは「私たちの心の中に」ということになります。つまり、脳がそう解釈しているだけ。因果とは脳の錯覚なわけです。

単純な脳、複雑な「私」

単純な脳、複雑な「私」

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 長い前置きになってしまいましたが、ジェフ・ダイヤーの『バット・ビューティフル』は素晴らしい本だ、と私は主張したいのです。けれどもこの本の題材のほとんどは破滅的な生活を送ったジャズ・ミュージシャンたちなので、彼らが「破滅ゆえに美しい」みたいな受けとられかたをしてはたまらないと、一言断ったまでです。

バット・ビューティフル

バット・ビューティフル

 表現形式の新しさ。そして表現する主題と形式の見事な一致。この本について語るうえでこの2つは外せない要素だと思う。つまり事実を重ねた伝記ではなく、アーティストについて書かれた批評でもなく、まったくの想像で書いた小説でもない、ジャズ・ミュージシャンと一体化して描かれた美しいポートレイト。ダイヤー本人はそれを「想像的批評(イマジナティブ・クリティシズム)」と記述している。

 この形式で私が思い出すのは、ねじめ正一が詩人の北村太郎田村隆一を描いた小説『荒地の恋』のこと。虚実がいりまじったリアルさが似ている。まだ読んでいないけれど、伊集院静の『いねむり先生』もこんな感じかもしれない。この「事実でもなく、まったくの嘘でもない」という微妙なジャンルは面白いわりに広く認知されているとはいえないので、いつか個人的に集めてカタログを作ってみたい。
 この本のもうひとつの大きな魅力、表現形式と主題の一致というのは、ジャズの最も重要な要素である即興演奏をダイヤー氏自身が自覚して書いているということだ。

本書を書き始めたとき、これがどのような形態をとることになるのか、私にはよくわからなかった。そのことは私にとって、大きなアドバンテージとなった。それはつまり私が即興的にものを書かなくてはいけないことを意味したからだ。そしてそもそもの出発点から、その主題の本質を何よりくっきりと表す特性によって、執筆は生き生きとしたものになった。

 訳者あとがきによると、この本の原書のカバーには、キース・ジャレットの書いた推薦文が載っているらしい。そこに「これはちょっとした宝物だ。“ジャズに関する本”というよりは“ジャズを書いた本”というべきだろう」という記述がある。これはまさに言い得て妙だと思う。

ジャズにとって重要なのは、独自のサウンドを出すことだ。ほかの誰とも違うやり方を見つけ、二晩続けて同じ演奏をしないこと。軍隊は違う。
(「楽器が宙に浮かびたいと望むのなら」レスター・ヤング

新しいものを彼は好まなかった。
(「もしモンクが橋を造っていたら」セロニアス・モンク

聴衆は文字通り、一人残らずこう理解する……その行為の本質を表現するのは、完璧な宙返りよりはむしろ衝突なのだと。
(「ここはまるで降霊会のようだよ、バド」バド・パウエル

たとえどれだけ夜が更けていても、彼は常にふと、このように思ってしまう。まだ誰かと話し続けていたい、誰かがコーヒーを作ったりカクテルを作ったりするぶくぶくという音や、かちゃかちゃという音を聞いていたい、と。
(「彼は楽器ケースを携えるように、淋しさを身の回りに携えていた」ベン・ウェブスター

小柄な人々はアメリカを微風と見なしたが、彼の耳はそれを暴風ととらえた。
(「彼のベースは、背中に押しつけられた銃剣のように、人を前に駆り立てた」チャールズ・ミンガス

これほど優しく演奏ができるのは、彼が実人生において真の優しさを知ることが一度としてなかったからだ。
(「その二十年はただ単に、彼の死の長い一瞬だったのかもしれない」チェト・ベイカー)

一人のアーティストにとしての彼にとって、弱さは不可欠なものだった。彼がプレイするとき、それこそが強さの源泉となるのだ。
(「おれ以外のいったい誰が、このようにブルーズを吹けるだろう?」アート・ペパー)

 この本は破滅したジャズミュージシャンの魅力についての本ではない。ジャズというジャンルが闘っている私たちの世の中についての本です。(波)