その99 面白く生き残りたい人にすすめる一冊。

 ジネス街にある書店で、ビジネス書を担当する人におすすめの一冊は、と聞いて教えてもらったのがこの本。べつにビジネス書を薦めてくださいと言ったわけではない。その人に面白い小説を教えてもらうつもりで質問したら、返ってきた答えはこの本だった。

スターバックス再生物語 つながりを育む経営

スターバックス再生物語 つながりを育む経営

 いみじくも邦題に『スターバックス再生物語』とついているとおり、この本はどちらかというと、ビジネス書というより物語だ。つまり役に立つというより面白い本。業績が悪化した会社を立て直すためにCEOに復帰したハワード・シュルツという人物が回想形式で、自らがおこなった策と、そのもとになった考え方を語っている。

 シュルツ氏が経営者として特異な点は、たぶん2つある。一つは成長を戦術として捉えていること。もう一つは物語性を重視して企画、判断していることだ。

成長は戦略ではない。戦術である。それをわたしたちは十分に学んだ。規律のない成長を戦略としたために、スターバックスは道を見失ってしまったのだ。

 戦略(ストラテジー)を「何をするか」についての計画、戦術(タクティクス)を「どうやるか」についての計画というふうに考えていただきたい。シュルツ氏はスターバックスを主語に語っているが、私には、たとえばこれをアメリカとか、20世紀の株主とか、科学者とかに変えても通用するような気がしてしまう。いままでよりも広い領土(宇宙計画)、きょうよりも明日のほうが価値の高い資産、昨日よりも明日のほうがより便利に、より精密になる生活。そういうものを戦略に、つまり生きるうえでの長期的かつ主要な目的にしているからいま人々は苦しんでいるのではないかと思う。成長は必要だ。でもそれはあくまで戦術として必要なのであって、成長によって得た基盤を元にやるべきことは別にある。私たちが求めているのは究極的には唯一無二のコミュニケーションだという点を意識して行動するシュルツ氏は珍しいタイプの経営者だと思う。

 もうひとつ、シュルツ氏の物語性へのこだわりは凄い。10,000店舗を超える店を持つ巨大チェーンの代表者でありながら、シアトルの一人の技術者が開発し、手作業で組み立てた「クローバー」という150台しかないコーヒーマシンを手に入れるために製作所ごと買収したり、リーダー会議にU2のボノを呼んでみたり、免疫解剖学者が開発した新しいフリーズドライ法でつくったインスタントコーヒーを採用して全世界で売り出したり…とにかくこの本には誰かに話したくなるエピソードが沢山つまっている。そしてこの「物語性」こそが、多くのスタッフや顧客を動かすうえで大きな原動力になっているのではないかと思う。.

彼はキッチンを臨時の実験室にして、週末になるとコーヒーの濃縮液を作り、オフィスの研究室へ持っていった。そこで、細胞をフリーズドライにする大きな箱形の機械を使い、細胞に用いたのと同じ手法を用いて、風味と香りを保ったまま濃縮液を乾燥させるおり良い方法を見つけ出そうとした。

 かくいう私もこの本を読むまでは、インスタントコーヒー「ヴィア」なんてスターバックスらしくない商品だと思っていたが、この粉末の開発のために働いて死んだ科学者がいると知ってしまったら飲んでみたくなってフレンチ・ロースト味を買ってきた。お湯で溶いたあと同量の牛乳で割って飲むとけっこうおいしい。そのおいしさの何割かが、物語の効果による思い込みだったとしても。(波)