その39 パクス・ロマーナを学ぶための本。

 「人に興味ないでしょ」とよく叱られる。
 会った人の顔を覚えない、名前を忘れるくらいは仕方ないとしても、飲みに行ってたっぷり聞いたはずのエピソードをすこーんと飛ばしてしまう。全部がぜんぶ記憶の彼方にやっているわけではなくて、自分の興味ある話は覚えているのだけど。
 こういうタイプはお勉強のなかでも歴史が苦手である。時間的にも空間的にも遠いところにいた人々の話に、どうにも興味が持てない。三十近くになってやっと、今・ここを起点にして、一つには高度成長、戦中、昭和戦前、明治大正、幕末と時代をさかのぼり、もう一つは台湾、朝鮮、中国、ロシア、東南アジアとエリアを広げているが、一通りカバーするには一生かかるかもしれない。
 というわけで、世界史はこの世でもっとも不得手なジャンルだし、大ベストセラーとなった塩野七生センセイの「ローマ人の物語」も文庫版5巻で止まったままである。今日の西欧の土台を理解しようとすればローマ帝国を学ぶしかないのだけど、我ながら困ったものだと思っていたら、衝撃的な一冊に出会った。

テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)

テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)

 紀元2世紀、ハドリアヌス帝在世中のローマ帝国に一人の建築技師がいた。彼の名はルシウス。「建国から約八百年… 確かにこのローマがかつてこれだけ豊かだったことはないだろう…」という時代のローマ人はとってもお風呂好き、ルシウスは日本の銭湯にあたる公衆浴場を設計しようとするが、どうにもいいアイディアが出ない。
 煮詰まった彼は、湯船の中で思いをめぐらすうちに溺れてしまい、たどり着いたのはなんと我らがニッポン! 彼は銭湯に露天風呂、家の風呂と現代日本の誇る風呂テクノロジーを持ち帰り、ローマの歴史を変えてしまう…といったコメディーである。

 笑いのキモになるのがローマ人の誇り高さである。
 ルシウス曰く「世界に名だたるローマ人のくせに こんな物を作る技術もないのかと バカにしているのだな!?」
 彼にとっては我々など奴隷であり、その名も「平たい顔族」にされてしまうのだけど、それだけにショックも大きい。

 我々ローマ人が水道だの巨大建造物の開発にうつつを抜かしている間に
 平たい顔族はしっかりと原始的利点の便利さにも視線を向けて
 こんな画期的な屋外風呂を作っていたとはッ…

 だが、向上心に燃えるローマ人はくじけない。

 しかし他民族の学ぶべき文明を学ぶのは 明日のローマの為!!
 今はとにかくローマ人としての誇りに揺らぎを感じている場合ではない!!

 プライドはものすごく高いけど、一方で自分をすぐに追い詰め、いつも暗い顔をしている。人に学べるところは謙虚に受け入れて、結果としていい物を作り上げて世の中を変えていく。そんな奴が、身近にも一人はいるはずだ。僕はローマ人がちょっと好きになった。
 しかし作者のイタリアへの愛情と風呂への執着に尊敬する。ポルトガル在住の作者がブログで曰く、「不思議なことですが、風呂が無い暮らしをすると風呂へのファンタジーがどんどん広がるのです。きっとうちに湯船があったら一巻で終わってました。」
 ギャグマンガとして侮るなかれ。新たな世界への扉は、意外なところに潜んでいるのだ。(藪)